立原道造 受容と継承

立原道造 受容と継承

名木橋忠大 著

定価:本体4,500円+税

2020年6月30日刊
A5判上製 / 200頁
ISBN:978-4-909544-10-0


最期の飛翔のゆくえ
高原の夏、風の声、水のせせらぎ、雲の流れ、愛、夢、そして失われた永遠の青春……。
郷愁に満ちた立原の詩には、しかし、かすかな悪意がやどり、毒が香り、模倣の手つきが垣間見える。
リルケ、堀辰雄、芳賀檀などからの影響や、和歌引用の精査を通し、早すぎた晩年、立原がなそうとした最期の飛翔のゆくえに迫る。


目次

第一章 「方法論」における存在への問い
一 「方法論」を論じる上での問題点
二 「住み心地よさ」なる「建築体験」
三 人間存在と建築の探求
四 「人間的生の自己超越」から芳賀檀へ

第二章 和歌引用の作品──建築思想との接点──
一 「はじめてのものに」
二 立原道造同時代の本歌取り評価
三 立原道造の建築思想
四 「のちのおもひに」

第三章 「ふるさと」探求と芳賀檀
一 盛岡の立原道造
二 芳賀檀との邂逅
三 「ふるさと」喪失
四 危険ある所、救ふ者又生育す

第四章 リルケ受容と芳賀檀『古典の親衛隊』
一 中間者と超克
二 『風立ちぬ』論解読
三 『古典の親衛隊』のリルケ理解
四 『古典の親衛隊』のリルケ理解の立原への移入

第五章 恋愛詩に表された愛の諸相──「別離」の構図──
一 悲恋から愛の成就へ
二 安住と出発
三 「別離」という愛の試練
四 リルケ 芳賀檀

第六章 模倣と実存→公開中

初出一覧


著者
名木橋忠大(なぎはし・ただひろ)

1971年山形県生まれ。
東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)。
現在、中央大学文学部特任教授。
主な著書に『立原道造の詩学』(双文社出版、2012・7)、『立原道造新論』(新典社、2013・11)、『コレクション・都市モダニズム詩誌26 神戸のモダニズムⅠ』(編著・ゆまに書房、2013・5)等がある。

書評・紹介

  • 2020-11-14「図書新聞」
    評者:野坂昭雄

ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

「海の熊野」から「山の熊野」へ/桐村英一郎

「海の熊野」から「山の熊野」へ

桐村英一郎(『木地屋幻想』著者)

私が今暮らしているのは三重県熊野市波田須町というところです。秦の始皇帝の時代、不老不死の仙薬を求めると船出した徐福がそこに上陸した、という伝承が伝わっています。コンビニすらない鄙の地で、熊野灘を見下ろす傾斜地に建つ借家での夫婦二人の生活も、かれこれ10年になります。
これまでささやかに出してきた本にはテーマがあります。「黒潮のロマン」と「古代の熊野」です。
黒潮は南方から日本列島へ、文化、技術、作物、神話・伝承、そして私たちの祖先を運んできた「不眠不休のベルトコンベア」といえましょう。沿岸に暮らす人々は、その彼方に理想の異郷「常世」を観想し、そこから「善きもの、貴きもの」がやってくると信じました。私は黒潮に惹かれて熊野にやってきたと自分にいい聞かせ、その古代に思いをはせて『イザナミの王国 熊野』『熊野からケルトの島へ アイルランド・スコットランド』『祈りの原風景 熊野の無社殿神社と自然信仰』などを世に問うてきました。
最近の拙著はこれまでとやや性格を異にします。それは「古代を離れ」「山に立ち入った」こと。2019年秋に上梓した『一遍上人と熊野本宮』は、初めて熊野の中世を覗き、一遍が山中の本宮大社で悟りを開いた背景を自分なりに描いた作品です。
熊野には「海の熊野」と「山の熊野」があるといわれます。前者は太平洋に面し、沖を黒潮が洗うこの地が生んだ歴史や民俗であり、私はもっぱらその探究を楽しんでまいりました。一方「山の熊野」は紀伊半島の中央部に横たわる「果無(はてなし)山脈」の名の通り、山また山の世界に繰り広げられた物語です。
今回の『木地屋幻想 紀伊の森の漂泊民』は、中世から近世へとさらに歴史を今に近づけ、深山で暮らした漂泊の民である木地屋(木地師)に焦点をあてた、私としては新たな試みなのです。なぜそうなったのか。拙著の「あとがき」に触れましたので、その部分をご紹介しましょう。

定年後は生まれ育った東京を離れ、関西で古代史に挑戦しよう。
そう決めて、奈良県明日香村に六年、三重県熊野市で九年余り暮らし、物書きをしてきた。これまで念頭に置き、ときに謎解きに迫ったのは、もっぱらこの国の古代だった。
木地屋は違う。彼らが紀伊・熊野の山中で活躍したのは主に江戸時代である。それは近江の小椋谷から各地を回った氏子狩、氏子駈の記録からわかる。なぜ私の関心が古代から一気に近世に飛んだのか。背中を押してくれたのは熊野市歴史民俗資料館の更屋好年館長だった。
二〇一九年二月半ばのこと。彼から私と、当地で長年お付き合いいただいている向井弘晏氏に「木地師展をやりたいのだが、協力してくれないか」との誘いがあった。私は二つ返事で引き受けた。木地屋に興味があったからである。

明日香村に借家して一年ほど経った二〇〇六年四月から、私は朝日新聞奈良版に「大和の鎮魂歌」と題する週一回の連載を四十四回続けた。(中略)その中で木地屋が祖神と仰ぐ惟喬親王を取り上げた。

飛鳥から熊野に向かう道中の奈良県川上村の高原集落には「惟喬親王はここに隠棲され、ここで亡くなった」という伝承があり、気の毒な親王を慰める法悦祭がお盆に行われてきた。祭りの「神主」になると日常生活の禁忌も厳しく、私が話を聞いた当時も「肉は食べない」「葬式にも出ない」などが守られていた。高原集落は海抜六百メートル近い山里だ。木地屋たちがその辺りで暮らし、惟喬伝承を残したのだろう。
惟喬親王と木地屋集団を知るため、東近江市の君ケ畑を訪ねて小椋昭二氏に会った。蛭谷の木地師資料館も見学した。この本の冒頭に書いた通りだ。「木の国」紀伊・熊野には木地屋の足跡、言い伝えがあちこちに残っているはずだ。それを追ってみたい。私の中の「記者」が頭をもたげ、更屋氏に即答した。

年号が平成から令和にかわった二〇一九年十月八日から十三日まで、JR熊野市駅前の文化交流センターで「木地師 その伝統としごと」展が開かれ、最終日に私が「木地屋 紀伊の森の漂泊民」という題で話をした。台風が通り過ぎた翌日だったが百人もの人が聴きに来てくれた。このギャラリー・トークの前後、あちこちを取材し、『熊野新聞』に九月十八日付から十二月二十九日付まで十六回連載したものが本書だ。今回出版にあたって一部書き足したほか、「黒江は今」を加えた。

本書では、私の念願や人との偶然の触れ合いが大きな役割を果たしたくれました。
紀伊熊野の山を知り尽くし、その暮らしを瑞々しく描いてこられた作家宇江敏勝さんに、あるテーマでじっくり話をうかがいたいと願ってきました。木地屋を追いかけているうちに「どうしても宇江さんに会いたい」という思いが募り、田辺市中辺路町のお宅に押しかけました。これは「大当たり」、会心のインタビューでした。
人とのふれあいの大切さを実感したのは、たとえば幕末の成功者小椋長兵衛の末裔である小倉章睦さんを知ったこと、そして彼を愛知県津島市に訪ねる前日に、小椋長兵衛が身代を築いた「池の宿(現在・三重県熊野市飛鳥町)」に詳しい大江一春さんにお会いしたことです。熊野市歴史民俗資料館で更屋さんと話していて、彼が別件でこれから大江宅に行くと聞き「ぜひ連れて行って」と頼みました。大江さんとの出会いが何をもたらしてくれたか。それは拙著でご覧ください。

木地屋幻想──紀伊の森の漂泊民

桐村英一郎 著

2020年6月2日

定価 2,000円+税

鷗外文学の生成と変容──心理学的近代の脱構築

鷗外文学の生成と変容 心理学的近代の脱構築

新井正人 著

定価:本体5,400円+税

2020年6月18日刊
A5判上製 / 320頁
ISBN:978-4-909544-09-4


学知と小説
森鷗外にとって小説とは、現実の模写にとどまることなく、理想的な人間像や世界観を提示すべきものだった。
当時最新の心理学・哲学・精神病理学などの学知を受容していた鷗外は、それをどのように小説表現に昇華させ、リアリズムを乗り越えようとしたのか。
学術書への自筆書き込みを仔細に検証し、鷗外の文学的営為を跡づける。


目次
序章 「小説を作るべき方便」としての「心理的観察」→公開中
Ⅰ 心理的リアリズムとしての近代文学
Ⅱ 近代心理学と近代文学の等質性
Ⅲ 初期鷗外の文学観
Ⅳ 鷗外文学の多形性

第一章 小説表現の学的構築 ─鷗外と心理主義─
Ⅰ 心理主義的時代思潮の影響
Ⅱ 帰納的形而上学への夢
Ⅲ 科学的心理学の受容
Ⅳ 人間心理の言語的構築

第二章 Seeleをめぐる論理 ─心身問題と鷗外─
Ⅰ 性質二元論の受容
Ⅱ 「主物」と「主心」の「併行」
Ⅲ 科学的心理学と心身問題
Ⅳ 「魂と肉体」の文学

第三章 構成的外部への理路 ─鷗外と識閾下─
Ⅰ 芸術創作理論と識閾下
Ⅱ 識閾下をめぐる学知
Ⅲ 表現戦略としての識閾下
Ⅳ 主体の構成的外部

第四章 「混沌」のもつ力 ─鷗外と教育思想─
Ⅰ 利他的行為の存立要件
Ⅱ 「選択の自由」としての自由意志
Ⅲ ヘルバルト教育学の受容
Ⅳ 「混沌」としての主体
Ⅴ 「将来ノ教育」の模索

第五章 “Vita sexualis”という言説装置 ─鷗外におけるクラフト=エビング受容─
Ⅰ 『性的精神病質』の日本への移入と鷗外
Ⅱ クラフト=エビング受容の様相
Ⅲ 「ヰタ・セクスアリス」の生成
Ⅳ 「告白」の不可能性

第六章 表象心理学と物語行為 ─鷗外文学の構築方略─
Ⅰ 表象心理学の枠組み
Ⅱ 心理の因果的構成
Ⅲ 「雁と云ふ物語」と心理描写
Ⅳ 「雁」の表現戦略
Ⅴ 「物語のモラル」、そして史伝へ
Ⅵ 近代の脱構築─おわりに─

初出一覧
あとがき

資料① G・A・リントナー『経験的心理学教本』受容の様相
資料② O・キュルペ『哲学入門』・『心理学概論』受容の様相

索引→公開中
人名索引
著作名索引
事項索引


著者
新井正人(あらい・まさと)

1986年、埼玉県生まれ。
2005年、埼玉県立川越高等学校卒業。
2009年、慶應義塾大学文学部卒業。
2017年、慶應義塾大学大学院文学研究科後期博士課程単位取得退学。
博士(文学)。
現在、早稲田中学校・高等学校国語科教諭。
専門は、日本近代文学・国語教育。
主な論文に、「「肖像画家」に託された戦略─三島由紀夫「貴顕」における「芸術対人生」の問題系─」(『昭和文学研究』67集、2013年9月)などがある。

書評・紹介

  • 2020-10-31「図書新聞」
    評者:小澤純
  • 2021-01「日本文学」
    評者:酒井敏

ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

『木地屋幻想』から「まえがき」+第一話を無料公開!

2020年6月刊行の『木地屋幻想』から「まえがき」+第一話をPDFで公開いたします。

「まえがき」+第一話

滋賀県東近江市の小椋谷は木地屋の発祥の地とされ、木地屋の「心のふるさと」とも言われています。
それは、惟喬親王が小椋谷の村人にロクロ技術を伝えたのが木地師のはじまりと伝えられるからです。
小椋谷を起点に、木地屋は良材を求めて漂白し、各地にその足跡を残し、文化や技術を広めました。
しかし近世には小椋谷には職人としての木地屋はおらず、木地屋の総元締めとして「氏子狩」と称し、木地屋を訪ね各地を回り、氏子料や初穂料のほか様々な費用を徴収していました。

なぜそんな都合の良いことが可能だったのか?
この「氏子狩」のシステムは各地の木地屋に何をもたらしたのか?

ぜひ第一話を御覧ください。

木地屋幻想──紀伊の森の漂泊民

桐村英一郎 著

2020年6月2日

定価 2,000円+税

『琉球王国は誰がつくったのか』から「結びにかえて」を無料公開!

2020年1月刊行の『琉球王国は誰がつくったのか』から「結びにかえて」をPDFで公開いたします。

「結びにかえて」

本書で論じた内容を4ページで凝縮して振り返っています。

琉球王国は誰がつくったのか──倭寇と交易の時代

吉成直樹 著

2020年1月27日

定価 3,200円+税