山棲みの生き方──木の実食・焼畑・狩猟獣・レジリエンス[増補改訂版]

山棲みの生き方
木の実食・焼畑・狩猟獣・レジリエンス[増補改訂版]

岡 惠介 著

定価:本体2,800円+税

2021年4月26日刊
A5判並製 / 264頁
ISBN:978-4-909544-20-9


山の恵みをいただき、畑の実りを願い、ときに災害に脅かされながらも、森に生き続ける北上山地山村の人びと。
フィールドワークで訪れた安家に魅了され、そこに棲みつき、20年にわたって人びとと生活をともにした著者が描く、山棲みの暮らしとこころ。
2つの章を追加し、1つの章を大幅に書き換えた、増補改訂版。


目次

第Ⅰ章 北上山地山村の暮らしから──森にこそ生きてきた人びと

第Ⅱ章 木の実の生業誌──森を食べる
 1 ドングリを食べて生きてきた世界の人びと
 2 山村の木の実食とアク抜き技術
 3 照葉樹林文化論とアク抜き技術圏
 4 旬を食べ貯蔵する暮らし
  
第Ⅲ章 焼畑の生業誌──森を拓く
 1 恐慌知らずの山村
 2 岩泉町内に混在する二つの焼畑
 3 北東北の焼畑を訪ね歩く
 4 多様な焼畑の意味するもの

第Ⅳ章 本当の桐は焼畑で育った──森を焼き木を育てる
 1 会津桐の産地と桐栽培の衰退
 2 会津藩政期における桐生産と販路
 3 明治・大正期における桐生産の拡大発展
 4 江戸から大正期までの桐栽培の指導書と分根法
 5 桐生産における分根法と焼畑との関係
 6 南部桐における分根法の伝播と焼畑との関係性
 7 今後の課題と分根法の功罪
  
第Ⅴ章 危機に備える重層的レジリエンス──森で生きぬく術
 1 北上山地山村の自給的な食生活と木の実
 2 森や畑が恵む保存食料
 3 危機に備える保存のための在来知の展開
 4 北上山地山村における危機への備えと対応
 5 ストックの持つ意味と重層的なレジリエンス

第Ⅵ章 野生中大型哺乳類の利用とその減少──森の獣を活かす


図表出典文献
おわりに
索引→公開中


著者
岡 惠介(おか・けいすけ)

1957年 東京都生まれ。
1981年 東邦大学理学部生物学科卒業。
1983年 筑波大学大学院環境科学研究科修士課程修了。
1985年 岩手県岩泉町立権現小中学校臨時講師、岩泉町教育委員会社会教育指導員、アレン国際短期大学教授を歴任。修士論文以来の調査地である岩泉町安家地区へ単身で移り棲み、住民と生活をともにしながら研究を継続する。その後、安家の人びとの協力により地元材を用いて家を建て、妻子と暮らす。この間、ネパールとザンビアにおいて、農牧制度や焼畑についての現地調査に従事。
2004年 東北文化学園大学教授(「文化人類学」「東北文化論」などを担当)となり、現在に至る。また、岩泉町歴史民俗資料館の調査・展示指導を続けてきた。
博士(文学)。災害救助犬、嘱託警察犬指導手。

単著に『山棲みの生き方─木の実食・焼畑・短角牛・ストック型社会─』(初版、大河書房、2016年)、『視えざる森の暮らし─北上山地・村の民俗生態史─』(大河書房、2008年)、共著に『やま・かわ・うみの知をつなぐ─東北における在来知と環境教育の現在─』(東海大学出版部、2018年)、『山と森の環境史』(文一総合出版、2011年)、『焼畑の環境学─いま焼畑とは─』(思文閣出版、2011年)、『森の生態史─北上山地の景観とその成り立ち─』(古今書院、2005年)など。

書評・紹介

ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

グローバリゼーションとつながりの人類学

グローバリゼーションとつながりの人類学

越智郁乃・関恒樹・長坂格・松井生子 編

定価:本体5,600円+税

2021年3月31日刊
A5判上製 / 400頁
ISBN:978-4-909544-19-3


持続と断絶 連帯と疎外
グローバリゼーションを経た現代社会において、人々が紡ぎ出す「つながり」はいかなる意味をもつのか。
世界各地でのフィールドワークから、境界を越えて結びつく人やモノを、ローカルで微細な日々の生活実践に着目して描き出す。


目次
序 グローバリゼーションとつながりの人類学/越智郁乃→公開中

Ⅰ ネーションと記憶
第1章 グローバリゼーションズから見る台湾──中国との対峙における「居心地」/上水流久彦
第2章 感情と学問──沖縄研究におけるナショナリズムとコスモポリタニズム/玉城毅
第3章 原爆投下をめぐる歴史解釈──すれ違う記憶とアイデンティティ/ハリス田川泉

Ⅱ 新しいつながり
第4章 ポスト権威主義体制期フィリピンにおける新たな社会性と都市統治──スラム再定住政策を事例に/関恒樹
第5章 多文化国家オーストラリアにおける新たな市民意識の可能性──先住民とアフリカ人難民の「黒人性」に着目して/栗田梨津子
第6章 パプアニューギニアにおける月経の禁忌の実践とジェンダー・カテゴリー間の関係の変化──保健教育を受けた世代のサゴヤシ澱粉抽出作業をめぐって/新本万里子
第7章 つながりが支える饗宴の実践──ツバル・ニウタオ島の事例より/荒木晴香
第8章 カンボジア在住ベトナム人の結婚と民族間関係──クメール人との通婚を中心に/松井生子

Ⅲ ケア・支援の現場から
第9章 「再生産労働の国際分業」のなかの男性移住者──イタリアのフィリピン人男性家事労働者の男性性と自己の再構築/長坂格
第10章 障害者から労働者へ──就労支援にみる寄り添い方/中岡志保
第11章 「障害」への対応──日本の高等教育機関における障害学生支援の現場より/岡田菜穂子

Ⅳ ツーリズムとつながり
第12章 オーストラリアにおける「啓蒙」としてのアボリジニ観光──ティウィ・ツアーの事例から/川崎和也
第13章 対馬の観光における他者イメージの形成──ミドルマンを中心として/中村八重
第14章 インバウンドによる沖縄観光の変化と「地域文化」──台湾人観光客の観光動向と米軍用跡地開発との連関を例に/越智郁乃

あとがき/越智郁乃・松井生子
髙谷紀夫先生研究業績一覧


著者
越智郁乃(おち・いくの)

東北大学大学院文学研究科准教授。博士(学術)。文化人類学、民俗学、沖縄研究。

関恒樹(せき・こうき)
広島大学大学院人間社会科学研究科教授。博士(文学)。文化人類学、フィリピン地域研究、社会開発研究。

長坂 格(ながさか・いたる)
広島大学大学院人間社会科学研究科教授。博士(文学)。文化人類学、フィリピン研究、移住研究。

松井生子(まつい・なるこ)
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所ジュニア・フェロー。博士(学術)。文化人類学、東南アジア地域研究。

書評・紹介

ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

火山と竹の女神──記紀・万葉・おもろ

火山と竹の女神
記紀・万葉・おもろ

福寛美 著

定価:本体2,500円+税

2021年4月23日刊
四六判上製 / 224頁
ISBN:978-4-909544-18-6


大地は鳴動し、噴煙で昼なお暗く、海彼から津波が押し寄せ、空からは隕石が降る……
日本列島が猛々しい相貌をおびていた神話の時代に生まれたコノハナノサクヤビメは、『竹取物語』においてどのような像を結ぶのか。
海人のダイナミックな足跡を神話や万葉集に追う「海人考」、霊力を持つ鷲の姿を琉球の神歌集『おもろさうし』にさぐる「おもろ世界の鷲」を併せて収録。


目次

火山と竹の女神
噴火/火山の女神、コノハナノサクヤビメ/竹刀・田・酒/ヨと籠/ヨと輝き/カグヤヒメ・カグツチ・香具山//隼人と畿内/このはなのサクヤビメ・なよたけのカグヤヒメ/富士山/日向出身の皇妃/隼人と狗吠え/美しき女神

海人考
縄文と弥生、東と西/塩土老翁・阿多忠景/サヲネツヒコ・鳥装の水人/『万葉集』の海人(あま)/白水郎/海賊/海人と権力/大歳の亀と甕/海人──漁撈と航海

おもろ世界の鷲
『おもろさうし』の鷲/鷲を捕る/鷲の霊能/鷲の地名/鷲と王権/鷲と戦い/鷲の羽飾り/船と鷲/琉球船と猛禽類/祭祀と鷲羽──多良間島の嶺間按司/朝鮮半島・八幡神話──鷲のイメージ①/鷲の尾羽──鷲のイメージ②/鳥の墓──鷲のイメージ③/鷲之鳥節/世界を支配する鷲

参考文献
あとがき


著者
福 寛美(ふく・ひろみ)

1962年生まれ。学習院大学文学部国文学科卒業。同大学院人文科学研究科博士後期課程単位取得退学。文学博士。現在、法政大学兼任講師。法政大学沖縄文化研究所兼任所員。琉球文学、神話学、民俗学専攻。

主要著作
『うたの神話学』(森話社、2010年)、『夜の海、永劫の海』(新典社、2011年)、『『おもろさうし』と群雄の世紀』(森話社、2013年)、『ユタ神誕生』(南方新社、2013年)、『歌とシャーマン』(南方新社、2015年)、『ぐすく造営のおもろ』(新典社、2015年)、『奄美群島おもろの世界』(南方新社、2018年)、『新うたの神話学』(新典社、2019年)

書評・紹介

    ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

    沖縄の空手──その基本形の時代

    沖縄の空手
    その基本形の時代

    津波高志 著

    定価:本体1,800円+税

    2021年4月14日刊
    四六判並製 / 192頁
    ISBN:978-4-909544-17-9


    唐手? 空手? KARATE?
    世界各地に広まり、オリンピックの種目に採用された空手は、なぜ沖縄固有の武術と言えるのか?
    推定で語られることが多かった歴史を排し、確かな文献・伝承資料とその解釈に基づいて、空手の起源に迫る一書。


    目次
    まえがき

    第一章 本書の目的

    第二章 従来の諸研究
     一 一般的な説明
     二 中国伝来説
     三 沖縄固有説
     四 空手の固有性

    コラム① 巻藁

    第三章 固有語の名称
     一 固有語と漢字表記
     二 糸洲安恒の唐手
     三 船越義珍の空手
     四 若干の留意点

    第四章 名称の民俗分類
     一 民俗分類
     二 唐手と沖縄手
     三 首里手と那覇手
     四 棒唐手と櫂手
     五 手と空手
     六 民俗分類の性格

    第五章 民俗分類と文献
     一 先行研究
     二 空手
     三 唐手
     四 空手と唐手

    コラム② 京阿波根實基の逃走経路と塚

    第六章 民俗分類外の諸用語
     一 からむとう
     二 ティツクンと組合術
     三 手ツコミノ術と拳法術
     四 民俗分類との違い

    第七章 空手史の基本形
     一 無記載の記載
     二 空手史の基本形

    第八章 今日的な問題点
     一 残された問題点
     二 京阿波根實基塚の性格
     三 京阿波根實基の墓碑
     四 空手の史祖

    参考文献
    あとがき
    索引→公開中


    著者
    津波高志(つは・たかし)

    琉球大学名誉教授・沖縄民俗学会顧問

    1947年 沖縄県に生まれる
    1971年 琉球大学法文学部国語国文学科卒業
    1978年 東京教育大学文学研究科博士課程単位取得退学(史学方法論民俗学専攻)
    2012年 琉球大学法文学部教授定年退職

    単著
    『沖縄社会民俗学ノート』(第一書房、1990年)、『ハングルと唐辛子』(ボーダーインク、1999年)、『沖縄側から見た奄美の文化変容』(第一書房、2012年)、『奄美の相撲─その歴史と民俗─』(沖縄タイムス社、2018年)

    共著
    『変貌する東アジアの家族』(早稲田大学出版部、2004年)、『中心と周縁から見た日韓社会の諸相』(慶應義塾大学出版会、2007年)、『東アジアの間地方交流の過去と現在』(彩流社、2012年)、『済州島を知るための55章』(明石書店、2018年)、『大伽耶時代韓日海洋交流と現代的再現』(韓国ソンイン出版、2020年)その他多数

    書評・紹介

      ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

      更生計画書のむらを歩く/和田健

      更生計画書のむらを歩く──ことばの裏表

      和田健(『経済更生運動と民俗』著者)

      むらの息づかいが感じられる更生計画書
      昭和恐慌ののち日本全国の農山漁村を襲った不況から立て直しを計ることを目的にとした国家施策に、農山漁村経済更生運動があります。経済更生運動では、更生指定された各町村が経済不況を乗り切るための具体的な計画を立てます。それが更生計画書です。例えば、各家が簿記をつけて農家経済を立て直す指導や、生産力拡大のため開墾や暗渠排水をすすめるなど農村経済の向上を立案することに加えて、生活改善や精神の作興といった日常生活に関わることにも立ち入って記されています。日常の中で行われ伝承されてきた民俗慣行に対して改めることを求める記述もあります。
      各町村で立案された更生計画書の記述は、むらのさまざまな息づかいやその時代の「空気」を想像させてくれるものでした。本書でも書いたのですが、筆者が茨城県の農山漁村を回る機会が多かったこともあり、本書で対象としたむらの更生計画書は、私にとって現地を歩いて見聞きしたことと重なることが多々ありました。

      「葬式の香典でいくら出したか、貼り出すのが常識だ!」
      私が20年ほど前、このようなことをいわれました。聞き取り取材したあるむらで「香典は金額を記して、参列者に見えるように貼り出す」ということを聞きました。「悪趣味だな」とそのときには思いましたが、そのむらの更生計画書では「香典額を書いた貼り紙はしてはいけない」という趣旨の生活改善指導が記されています。このことは悪い慣習、すなわち陋習であるから改めよということなのだと思います。しかし今から20年前(2000年前後)の私がそのむらで見聞きした様子を思い出すと、引き続いて香典額を書いて貼り紙をしていました。このことを改めて考えてみると、香典額は家格を示すものでもあり、また葬家との関わりを示す重要な尺度でもあります。そして香典額を公開することにより、むらにおける家々の関係性を表している、ということなのでしょう。昭和7年~12年(本書で対象とした1930年代半ば)において、「香典額を書いて貼り紙をしてはいけない」と記された生活改善指導よりも、家々の関係性を示す民俗慣行をつづけることを選んだ、といえます。

      もっとも、葬式ではなく、全国あらゆるところで行われるお祭りでも、「誰からいくらいただきました」とわかるように、寄付金、協賛金の額と寄付者、団体の名前が貼り出されます。誰からいくらもらったお金であるかを公開することは、個と組織の関わりを表象する行為であると捉えると、陋習とだけで断じるのは、一面的なのかもしれません。
      (でも私のなかでは「やはり悪趣味だな」の意識は消えません(苦笑)。)

      「共同」の裏表
      このように更生計画書に記された生活改善指導を守らないで伝承されていく民俗慣行もあるのですが、それでは更生計画の目標は達せられません。指導内容の確守徹底を計る仕掛けも更生計画書では記されています。例えば計画を守るための宣誓書(誓約書)を用意し、家長が署名捺印するといった、契約的観念をむら社会に持ち込んで、更生計画の遵守を求める方法も出てきます。しかし書面による縛りよりも、「みんなで守らないといけない」「お互い頑張ろう」という、そのむら社会における「空気」が確守徹底を働きかけているように思います。その「空気」が見えざる強制力につながっていくこともあります。何かしらの抑圧的な同調圧力です。

      この同調圧力と関連してなのですが、「共同」ということばには裏表があるのでは、とも思いました。「共同」は、みんなで行うことを肯定的に捉えるニュアンスを含んでいます。更生計画書にも多々出現することばです。しかしこの「共同」を別の観点から考えると、実は怖い要素もあるのではと感じるのです。更生計画で積極的に取り組まれたものとして「賃金対価を前提としない共同労働」「肥料の共同購入」「品種、規格を揃えた収穫物の共同出荷」などがあげられます。ある意味「みんなで力を合わせて農村不況を乗り切ろう」という流れで、肯定的に捉えられます。しかし共同で行う、みんなで行うことには負の側面もあるように思うのです。みんなで守るためには個々人の価値観や判断は挟まない。守らないのは自分勝手である。このような心性が「共同」の根底にあるように思います。むらの中でもきまりを守らない家に対しては、近隣の家々含めて連帯的な責任を取らされることもあり、またパージしていく「空気」を作っていく場合あります。これは本書で対象とした茨城県の資料では見かけなかったのですが、ある県の更生指定村のリーダーが雑誌に投稿した手記があります。その手記を要約すると、婚礼では娘に持たせる着物に絹織物を使わないと、むらで決めたにもかかわらず、それを持たせた家があったが、その家はむらに住めないようにして追い出したというものです。いわゆる村八分にしたのですが、この手記では「守らない家が悪い」というトーンで、更生計画を進めるためにはこれくらい徹底しないとダメだと、誇らしく書かれていました。おそらくこのようなむらの「空気」にも濃淡はあると思うのですが、誓約書のような文書による遵守よりも、共同監視による同調圧力としての「空気」の怖さを想像してしまいます。「共同」というニュアンスも正の側面と負の側面があるように思えます。

      たしかに計画の遵守には共同による連帯は必要です。個々人バラバラでやっても効果はない。共同でやることで効果があがる。肥料の共同購入は、個々の農家が肥料業者から悪質かつ高額なものを買わされることを防ぐ効果はありました。しかしそのような正の側面だけではないように思うのです。共同で行うことの負の側面、それは個々人の判断は劣位におかれているということです。これは現在の日本社会においてもあらゆる側面で人々の心に埋め込まれているように思うのです。言い換えれば、個々人の考えや意見を出すことは「わがまま」と評価され、みんなにあわせてやっていくことは「絆」「団結」などと評価される。このような思考停止に陥らないように、「共同」のニュアンスを、改めて考えほぐしていくことが重要なように思いました。

      「自粛」と相互監視
      みんなで規則を守ることの裏面的要素を考える。共同で行うことの表面と裏面を考える。物事には正の要素と負の要素がある。自らの聞き取り取材で見聞きしたことと更生計画書の記述を照らし合わせて、ことばの持つ裏面的な要素を考え直すきっかけとなりました。
      そして改めて現在よく使われる「自粛」ということばの危うさも感じました。「自粛」は自らすすんで行うことに本来の意味があるはずですが、他者からの見えざる強制力を前提として、現在では裏面的要素が付加されています。2020年春の1回目の緊急事態宣言中に、営業していた飲食店、パチンコ屋に「自粛しろ」ということばを浴びせていた事態には、ちょっとおかしい共同監視ではないか、と感じた人も多いと思います。政府が国民に自粛をお願いし、国民相互に緩やかに相互監視させる。このような方向性の施策は現在もつづいていると思います。そのことの危うさも、1930年代の更生計画書と現在の社会状況とを照らし合わせて、改めて考えました。

      誰にとっての「模範」なのか
      もうひとつ、更生計画書を読んで気になったことばに「模範」があります。「模範」ということばは計画書本文に多用されていませんが、むらを挙げて更生計画の遵守を徹底すると「模範村」として評価され、特別助成がされました。しかしこの「模範」とは、著しく農村経済の復興を遂げたということよりも、むらが団結して精神の作興に取り組んだことに対しての評価であると私は感じます。四大節を行うことや国旗掲揚を徹底し、陋習を廃し生活改善指導を遵守する。そして節約をして税金を滞納しない。貯金組合を作り貯金に励む。それは郡町村の行政そして国家にとっての模範村です。「模範」はよいお手本のニュアンスがありますが、誰のためのよいお手本なのかを考える必要はあると思うのです。「模範」ということばにも表面、裏面があることも、更生計画書を読んで学びました。

      「空気」に流される
      明文化された更生計画でも、反対的な態度を取っている例もあります。冒頭で述べた「香典額を参列者に見えるように貼り出す」という行為が現在もつづけられていることを考えると、自分たちの論理を優先するむら柄を感じます。また「冗費につながるので花輪は葬式で出さない」と書かれていても、「あそこの分家が出しているのに自分の家が出さないのはおかしい」といってやはり花輪を出す。模範的かどうかの価値尺度ではなく、むらそれぞれの価値判断を感じます。日本の農村をひとくくりにはできない個性も感じました。

      最後に更生計画書では必ずふれられている「お酒」について記します。「葬式で酒を出すことは禁止する」と禁酒を明文化した計画書は大多数でした。
      「できるわけないよな」
      と突っ込みながら読んでいると、
      「お酒は1升までとする」
      と禁酒を少し緩めたあるむらの更生計画書にも出会いました。それでもやはり、
      「これもできなかっただろうな」
      と思いながら読みました。
      「まあ、いいか。葬式なんだからもう少しお酒を出すか。浄めないと。」
      といった、相互監視や抑圧とはまた別の「空気」に流されていく一面もあったのではと、勝手に想像しました。

      経済更生運動と民俗

      和田 健 著

      2021年2月20日

      定価 4,500円+税