有気音と無気音の思い出/津波高志

有気音と無気音の思い出

津波高志(『八重山のアイナーと宮古のアンナ』著者)

 このたびの拙著『八重山のアイナーと宮古のアンナ ―台湾諸語等との関係を探る―』では、琉球語の親族用語を鳥瞰するために、中本正智『図説琉球語辞典』(金鶏社、1981年)にずいぶんお世話になった。

 著者の中本正智(1936-1994)は、沖縄県玉城村(現南城市)の出身で、1960年に琉球大学の国語国文学科を卒業した。中本に拠れば、在学中に、仲宗根政善教授から、「一人一人が、自分の郷里の方言辞典をつくるように」との指導を受けて、先生の『今帰仁方言集』を筆写し、自家用の方言辞典を手がけるようになった、とのことである。
 
 実は、私も同じ学科の出身で、卒業したのは1971年である。仲宗根政善教授は、民俗学を研究するのであれば、音声表記は勉強していた方が良いとおっしゃって、何と、先生の言語学演習の時間に、専攻生数人は先生の向かいに、私は直ぐ側に坐らされた。

 そこで、私を話者にして、先生の質問に答える形で、沖縄国頭方言の中の羽地川上方言の音声表記が始まった。その訓練を受けたことのない私に対しては、先生のノートをそのまま写すように言われた。さすがに、「郷里の方言辞典をつくるように」とはおっしゃらなかったが、自ら表記されたものを写させるということでは、同じ教え方をされていたのである。

 同じ教え方をされても、教えを受ける方の能力の差は歴然としていたようである。自分自身がインフォーマントとして話しているにも拘わらず、私は有気音と無気音の違いが、ゼミ開始時からさっぱり分からなかったのである。実際の例として挙がったのが、「船」と「骨」である。

 質問、「船は何というか」。答え、「プニです」。
 質問、「骨は何というか」。答え、「プニです」。

 先生のノートでは、「船」は[pʼuni]、「骨」は[p‘uni]である。私にはまったく同じ音にしか聞こえないのであるが、「船」の[pʼ]は無気音、「骨」の[p‘]は有気音との説明である。そう言われても、私の耳にはやはり同じようにしか聞こえない。話しているのは、自分自身なのに、である。

 しょうがないので、先生はティッシュペーパーを1枚、口の前に持ってきて、それが動くと有気音、動かないと無気音である、と教えて下さった。そんな調子で、丁寧に教えて頂いても、はっきり分かるのに約2ヶ月ほど要した。思えば、言語学には、入口の入口で、才能なしの判定が下されたのであった。

 とはいえ、悪いことばかりではなかった。沖縄本島北部の現名護市(元の名護町・屋部村・羽地村・屋我地村・久志村)、東村、大宜味村、国頭村などの村々でも実際に[pʼuni]と[p‘uni]の区別があるのか否かを調べ、ゼミのレポートとして提出すれば、それで2単位上げよう、ということになったのである。

 当時は、自家用車があるわけではなく、また公共交通機関もさほど整備されていなかった。それでも、2単位欲しさからであろうか、あるいは有気音と無気音の違いが分かった単純なうれしさからであろうか、20ヶ所以上の村落を訪ね、無事、レポートを提出したのであった。学生時代の懐かしい一幕である。

八重山のアイナーと宮古のアンナ──台湾諸語等との関係を探る

津波高志 著

2025年10月31日

定価 2,700円+税