不滅のアクション映画魂は南へ
世良利和(『千葉真一、南へ』編者)
出会いはキイハンター
改めて自分の千葉真一体験を振り返ると、最初の出会いはやはりテレビの『キイハンター』(1968-73)だったと思う。私が小・中学校時代を過ごした岡山県北部の寒村には映画館などなかった。通学路に大きな池や牧場があって途中の林にはサルが出るような、鳥取県境の僻地で育ったのだ。学校で巡回上映されるのは文部省選定映画だったし、年に数回バスで1時間ほどかけて出かける街の映画館でも、千葉真一の出演作を観た記憶はない。
いっぽう、小学校の高学年から放送の始まった『キイハンター』は、子どもたちの間でも人気の高い番組で、毎週土曜日の放送を見ていないと翌週の通学時やクラスでの話題に加われなかった。中でも話が一番盛り上がっていたのは、やはり千葉真一がアクション全開で活躍する回だったと思う。
高校生になると、私は映画館が数館ある街で下宿暮らしを始めたが、当時の興味はもっぱら二本立でリバイバル上映される『卒業』(1967)や『ロミオとジュリエット』(1968)などの洋画に向けられていた。東映系の映画館で千葉の出た空手映画やヤクザ映画、ブルース・リーの『燃えよ、ドラゴン』(1973)などを観たのもこの頃だが、私の映画バカ魂に火がつくのはもう少し先のことになる。
お気に入りはこれだ!
千葉が出演した映画には、それぞれお気に入りの場面がある。たとえば『激突! 殺人拳』(1974)では、編笠をかぶった雲水姿の千葉が店先でトマトジュースを飲んでいるが、あのシーンはいったい誰が思いついたのだろうか。あるいは『空手バカ一代』(1977)の冒頭を飾る百人組手のシーンはどうだ。床に油をまかれた千葉は足を滑らせて苦戦を強いられるが、やがて倒した相手を寄せ集めて足場にすると、胴着の帯を足に巻いて戦い続ける。
また『沖縄やくざ戦争』(1976)では、千葉がなぜかズボンの後ろポケットに入れていたペンチを取り出して子分に渡し、室田日出男のペニスをねじ切るという凄惨なリンチを命じる。リンチを眺めながらアイスをかじる千葉の表情はサングラスに隠れて見えないのだが、あのアイスは私の中で『3-4X10月』(1990)のビートたけしがかじるアイスへとつながっている。
そして千葉主演作のイチ押しを挙げるとすれば、『直撃! 地獄拳』(1974)と『直撃地獄拳 大逆転』(1974)の2作品になる。このシリーズでの千葉は甲賀忍法宗家の末裔という設定だった。千葉が演じたのは伊賀の服部半蔵だけではなかったのだ。甲賀忍者がなぜ空手を使うのかはさておき、本シリーズでは笑いの取れる二枚目としての千葉の資質が、石井輝男監督の悪ノリ演出によって存分に引き出されていた。
香港、タイ、ミャンマーへ
ところで千葉真一が「南進」したのは沖縄や台湾だけではなかった。香港との合作や香港映画にもたびたび出演し、『風雲 ストームライダーズ』(1998)では香港アカデミー賞の最優秀主演男優賞にノミネートされた。また中島貞夫監督と組んだ『東京─ソウル─バンコック 実録麻薬地帯』(1972)ではさらに南のタイへ出向き、バンコクだけでなく北部の古都スコータイやチェンマイでもロケを行っている。
なおこの作品で千葉は、ブルース・リーの相手役として後に日本でも人気を集めるノラ・ミャオと共演していた。それにしても千葉真一はタイの風景、気候風土がよく似合う。これ以前にも、長谷川一夫、石原裕次郎、小林旭に宍戸錠、加山雄三といった面々がタイでロケに臨んでいるが、現地への溶け込みという点では千葉に遠く及ばない。
また自ら企画に加わった『激殺! 邪道拳』(1977)では、再びタイで師匠の復讐に立つ空手家を演じている。仇との対決で一敗地にまみれた千葉が、再起をめざす中でコルセットみたいな装置を身につけ、電流の刺激で激しく震えながら肉体のパワーアップを図る場面は笑える。
傭兵部隊の元教官役で主演した『地雷原 A mine field.』(1992)もタイでロケされた作品だった。千葉は妻子を連れて久しぶりにチェンマイを訪れるのだが、政府軍の元部下からは対ゲリラ戦への協力を懇願され、妻と娘は反政府ゲリラに拉致される……うーん、現地のきな臭い情況にも、自分の動きがマークされていることにも気づかないまま、のこのこ家族旅行に出かけるって、千葉ちゃん本当に凄腕の傭兵隊長だったのか? もうひとつ『Yangon Runway』というミャンマーとの合作にも、千葉は武田梨奈演じるヒロインの義父役で参加しているようだが、作品が完成して公開されたのかどうかは不明だ。どなたかご存じであれば教えて下さい。
ということで、せっかちな私は今回上梓した『千葉真一、南へ』の続編本のタイトルをすでに決めている。『千葉真一、さらに南へ』、もうこれしかないだろう。

