「ネット的なもの」の捕まえにくさ/平井智尚

「ネット的なもの」の捕まえにくさ

平井智尚(『「くだらない」文化を考える』著者)

あまり気乗りのしない報告書や申請書の文章を書くのは気が滅入るのですが、自由裁量でさして必要性の高くない文章を書くのはそれほど苦ではないので本書の「あとがき」は些末な小ネタでも挟みながら執筆しようと考えておりました。ただ、編集の過程で「ページ数との兼ね合いから4ページ」という目安をいただいていたので「あとがき」は最低限にとどめました。そういうわけで「ほんのうらがわ」で「あとがき」で書き切れなかったことを書き留めておこうと思います。

「あとがき」にも書いたように、日本社会を文脈とするインターネット空間で展開されるユーザーたちのやり取りにあまり通じていない人、あるいは、インターネット空間の認識がステレオタイプ的なイメージにとどまっている人が本書を斜め読みすると、単なる2ちゃんねる(あるいは、5ちゃんねる)の懐古論にしか見えません。本書の表紙は文字だけのシンプルなものですが、当初の装丁案には(゚∀゚)という顔文字が盛り込まれておりました。(゚∀゚)という顔文字は、何かが登場した際の興奮を表す「キタ━━━(゚∀゚)━━━!!」のように、2000年代前半には2ちゃんねるでよく見かけ、映画やドラマにもなった2ちゃんねる発祥の物語である「電車男」でも多用されていました。ただ、「電車男」が過去の遺物、ないし「黒歴史」となっているように、(゚∀゚)という顔文字もいまの2ちゃんねる、およびその文化圏で見かけることはあまりありません。(゚∀゚)に限らず、顔文字をいまも使用している人は、かつて「2ちゃんねらー」と呼ばれた人たちの残党で、現在は立派な(本当に「立派」であるかはわかりませんが)おじさんになっていると推測されます(そういう人はもしかすると「おじさん構文」も得意かもしれません)。

2ちゃんねる自体の勢いは2000年代前半をピークに右肩下がりとなっていき、インターネットを通じて展開される人々の交流のメインはSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)へと移行していきました。それゆえ、2ちゃんねる、およびその文化圏に対する一般的な認識は、いまだに顔文字やアスキーアートがはびこり、そして、怪しげで、かつ「便所の落書き」のようなイメージのままで、ほとんどアップデートされていないように思います。こうしたイメージは間違っていない部分もあります。ただ現在の2ちゃんねるでユーザーが集まっている板を見ると、顔文字やアスキーアートはあまり見かけず、代わりにスマートフォンに標準で搭載されている絵文字や画像・動画へのリンクが多く見受けられます。そして、各スレッドでは、Twitterへの投稿、YouTubeの動画や投稿者、アニメ、オンラインゲーム、スポーツ、ニュース・時事問題など、多種多様な情報をもとにしたやりとりが展開されており、それらは、まとめサイトやTwitter、ならびに各種のコンテンツへと波及していきます。このような情報環境、およびそこに見られる行動様式やコンテンツ、いわゆる「ネット的なもの」には、2ちゃんねるの要素が含まれていても、2ちゃんねるとイコールではありません。そうした広範な「ネット的なもの」を把握するために、本書では「ネットカルチャー」という用語を軸に議論を展開しています。

インターネット関連のサービスは、新しさや流行という点で多くのユーザーと社会的な関心を集めることがあります。例えば、日本社会で一定のユーザーと関心を集めたSNSとして、2000年代中頃のmixi、2010年代前半のTwitter、2010年代後半のInstagramなどが挙げられます。2020年代前半はTikTokのようなショート動画サービスがその中に加わるかもしれません。ただし、多くのユーザーや社会的な関心を集めたインターネット関連のサービスは、程度の差こそあれ、10年もしないうちに時代遅れとなります。mixiで積極的な交流を展開していた当時の若者は、数年後にmixiが過疎化するとは思っていなかったのではないでしょうか。同じような現象はInstagramやTikTokにも起こり得ます。Twitterも、2010年代中盤以降は、「普及学」で言うところの「後期追随者」や「遅滞者」に属するユーザーの割合が増加し、新聞やテレビといったオールドメディアが「読者・視聴者の意見」や「街の声」としてTwitterの投稿を取り上げるようになりました。

ピークを過ぎた感のあるSNSに漂う行き場のない感じや、そこに見られる話題への追随に逡巡がうかがえないオールドメディアを皮肉りたいわけではありません。インターネットと関連する現象は、かつて「ドッグイヤー」とも言われたように、足が早いため、調査・研究を手掛けても、成果が出るころには旬を過ぎてしまうという難しさを抱えています。あわせて、調査・研究に携わる人も年を重ねていくため旬についていけなくなります。個人的には「YouTuber」や「バーチャルYouTuber(VTuber)」を対象としたまとまった研究を見たいのですが、それらが世に出る頃には存在自体が「黒歴史」となっているかもしれません。このことは本書で対象とした「ネットカルチャー」も例外ではありません。ただし、各論や事例が時代遅れとなっても、概念や理論を交えた議論を展開することで一定の抽象化が図られ、関連分野の研究や後続の研究との接続という面で寄与できるのではないでしょうか。本書はそうした試みの一つであり、そういった意味では一応のところ本書は2ちゃんねる論ではありません。

タイトルにある「くだらない」は本書自体にも向けられています。いわゆる研究者と呼ばれるような人たちは自身の研究を意義のあるものだと思っているはずです。ただし本書について言えば、筆者は意識が低く、かつ未熟であるために、どのような意義があるのかよくわかりません。ただ、インターネットの問題を対象とする社会科学の調査・研究は、一見とっつきやすいのですが、実際に手掛けてみると難しい面があり、先行研究の整理という「初手」で詰むこともあります。同分野の調査・研究において、本書が一つの足がかりとして貢献できることがあるならば、そこでようやく意義を見出すことができるような気がします。

「くだらない」文化を考える──ネットカルチャーの社会学

平井智尚 著

2021年1月26日

定価 2,300円+税