『お祭り野郎:魚河岸の兄弟分』論──サブスクで振り返る1970年代の「神輿ブーム」/三隅貴史

『お祭り野郎:魚河岸の兄弟分』論
──サブスクで振り返る1970年代の「神輿ブーム」

三隅貴史(『神輿と闘争の民俗学』著者)

 本書の序章、「神輿渡御を闘争として分析する」では、本書のキーワードである「闘争」から神輿渡御を分析するという着想を筆者が得た、2017年5月21日早朝の三社祭一般宮出しの様子や、先行研究として取り上げる祭礼研究の大まかな見通し、本書の最大の特徴と目的、そして、民俗学、民俗芸能や祭り・行事研究、地域社会/都市社会研究、社会学、人類学、カルチュラル・スタディーズ、メディア研究、若者・ジモト研究、歴史学などの領域に愛着を持つ読者に対する本書の内容紹介を、約5,000文字の分量で書き下ろした。

 そしてこの文章は、七月社のWebサイト内の「試し読み」コーナーにて、すべて読むことができる。ざっくりと本書がどういった内容の書籍なのかを知りたい方々は、ぜひお読みいただきたい。

*  *  *

 本書にて筆者は、日本において神輿が最も盛り上がった時代として、1970年代前半から1980年代半ばの「神輿ブーム」を取り上げた。神輿という「趣味」が、熱狂的愛好家という限られた範囲を超えて大衆化したという意味で、この時代に並ぶ時代はない。そして筆者は、現時点では、これに並ぶ時代が今後再来するとは考えていない。

 そんな「神輿ブーム」のありようを、誰もが容易に振り返ることができる映像資料などはないものだろうか。サブスクの発展が、こんな無理難題を解決してくれた。なんと、本書でも内容を紹介した『お祭り野郎:魚河岸の兄弟分』(東映、1976年。以下、『お祭り野郎』と略す)が、いまや某定額動画配信サイトで配信されているのだ!

 筆者がノートを取りながらこれを見た2016年には、中古VHSを購入して、ビデオデッキ(もちろん一人暮らしの院生の家にあるはずもなく、大学の共同研究室の隅に追いやられていたものを借りて、大学で見た)で見るしか、ほぼ手段がなかったというのに! この時代のテレビ番組がほとんど現存していないのと比較すると、対照的といえる*1

 『お祭り野郎』については、本書で以下のように論じた。実は、元になった博士学位申請論文ではもっと多くの紙面を割いて論じていたのだが、書籍化の際に泣く泣く分量を削減した結果、これだけの記述しか残らなかったのだ。

このような出版・放送メディアにおける神輿会への注目の中で、最も顕著なものとしては、松方弘樹演ずる熱狂的な神輿会成員を主人公とする、類例を見ない映画『お祭り野郎:魚河岸の兄弟分』(一九七六年)が挙げられる。本映画は、実際に存在したある神輿会とその会長をモデルにしており(『月刊東京情報』一九七八年二月号、一三頁)、二〇以上の神輿会が宣伝・エキストラに関わっている。
(本書、一七七頁)

 さらに、『お祭り野郎』をめぐっては、入稿前に追加するか迷った挙句、結局本書に追加しなかった議論がある(以下のポイント③にあたる)。ということで、東京圏の神輿渡御の研究をしている研究者として、『お祭り野郎』に鮮明に記録されている1970年代の神輿ブームのありようについて、見所を以下の3点から解説しておこう*2

ポイント①:1975年頃の「江戸前」スタイル

 なんといっても、本映画の中では、この頃から新興の神輿会、そして、一部の町会成員の間で定着が見られる「江戸前」スタイル(本書118頁と、第8章にて詳述)に注目してもらいたい。カラー映像でこれらが残されているという意味において、『お祭り野郎』は一線級の「映像資料」なのである。

 映画の中では、それ以前のスタイルである、半纏・ダボシャツを脱ぎ捨てたようなスタイルや、半ももなどを着用した人びとも見られる。しかし、松方弘樹演ずる主人公を中心として、鯉口シャツ・草鞋・紺の腹掛けと股引き・紺の地下足袋、会半纏という、「江戸前」スタイルが採用されていることが、一目瞭然である。そして、この映画における担ぎ手の服装は、現代の東京圏でしばしば見受けられる「江戸前」スタイルのありようと、大きな差がないといってよい。

 その他、本書で論じた内容と重複する、注目してもらいたい点として、「江戸前」担ぎ的な「一拍子」と称される掛け声(冒頭の九州での神輿担ぎの場面を除く。本書119頁と第8章にて詳述)、女性の担ぎ手の一般化(本書224頁から226頁にて詳述)、そして、会の成員で揃って斜め45度に手を上げるという形式で行われる、今ではあまり見られないマスゲーム的所作(本書120頁にて詳述)などがある。

 1972年頃の鳥越祭が映し出されている『祭りだお化けだ全員集合!!』(松竹、1972年。これはかなり多くのサブスクのラインナップに入っている)では、ドリフの面々が「江戸前」スタイルで神輿を担いではおらず、「江戸前」スタイルの担ぎ手はそう多くない。鳥越祭は、三社的な美学を積極的に取り入れてこなかった祭礼ではあるが、この二作品で描かれている表現の差異は興味深いものである。

ポイント②:神輿会のフォークロアと神輿会同士の意地の張り合い

「てめえら腰抜けの祭りのグループなんぞ、聞いたわけねえぜ。いっぱしの顔する前に、俺らのとこに修行に来な!」
「何言ってるの。浅草いろははね、神輿同好会よ。喧嘩をするためにあるんじゃないの。」
(映画内の台詞より)

 三社祭や「江戸前」スタイルという「祭礼のありよう」が描かれている一方で、この当時の神輿会という組織のフォークロアが描かれていることも、本映画の魅力の一つである。

 主人公が所属する銀座睦会の「溜まり場」とそこでの成員同士の交流に注目してみよう。銀座睦会はしばしば、クラブ(?)や成員が働く銭湯などで交流の機会を持っている*3。そしてこれは、この時代の神輿会でしばしば見られたもののようだ。

 本書で1970年代の神輿会のありようを示すためにしばしば引用したタウン誌『月刊東京タウン情報』『月刊東京情報』『月刊東京情報うるばん』では、「喫茶スナック××で第1土曜日に例会」といった記載が見られる。現在ほど簡単に連絡を取り合うことができない、この時代の趣味集団のフォークロアを読み取ることができよう。

 また、この当時の祭礼でも、喧嘩は重要な要素の一つだったようだ。本映画では、神輿場での担ぎ手同士の喧嘩は描かれていないものの、神輿会の成員同士の煽り合いと喧嘩、そして、それをたしなめる台詞がしばしば見られる。上で引用した台詞は、その代表的なものである。

 喧嘩をして帰ってきた神輿会の成員を、「神輿会は神輿を担ぐためにあり、喧嘩をするためにあるのではない」とたしなめる場面は、昔も今も変わらない、神輿会成員のあふれんばかりの男性性を象徴する場面といえる。本映画の中での、密かな筆者のお気に入りの場面である。

ポイント③:根無し草(神輿会成員)VS下町生まれ・育ち(町会成員)

「銀座睦会の当面の目標、浅草三社祭でイニシアチブを取ることだ!」
「もうすぐ日本三大祭りの一つ、浅草の三社祭があんだ。」
(映画内の主人公の台詞より)

東京の下町に生まれ育ち、つい昨年まで(もちろん今年もやるが)二五年以上もミコシをかついできた私(いや、私の仲間もふくめて)にとって、こんなお祭り野郎などチャンチャラおかしくって、松田政男風にいえば涙がちょちょぎれるのだ。というより、実に腹立たしいかぎりだ。/ぬけぬけと「お祭り野郎」と名うったこの作品は、一体、“祭り”の何を表現したかったのか。(中略)その貧しさは目をおおうばかりだ。
(西脇英夫,一九七六,「日本映画批評:お祭り野郎 魚河岸の兄弟分」『キネマ旬報』通巻一五〇〇号、一七三頁)

 最後に、本書の主要なテーマである町会と神輿会との闘争という視角から、最も興味深い点を論じていこう。そこで取り上げるのが、上に引用した、東京の下町生まれ・育ちの西脇英夫による、本映画に対する酷評である。

 本映画を、日本映画史に渾然と輝く傑作であると断言することは困難であると言わざるを得ない。この酷評にもある程度は賛同できる。

 しかし筆者は、西脇による酷評を、『お祭り野郎』の純粋な出来栄えに対して向けられたものとして読み取るよりも、西脇という下町の町会成員による、『お祭り野郎』で描かれた「お祭り野郎」こと主人公、つまり、熱狂的な神輿会成員に対する理解不可能性の表明として読み取る方が妥当だと考えている。

 具体的に説明していこう。西脇は『お祭り野郎』が、「年に一度のその日を待ち」、祭りの日に狂気につかれたように暴れ回る人びとと、普通の人びとをそのように変えてしまう祭りの魔力について、観光映画ほどにも語ることができていないと手厳しく批判する。

 「年に一度のその日を待ち」とあえて記載した西脇の文章から、様々な祭礼で神輿を担ぎ、地元の祭りではなく、高い人気を集めるに至った「日本三大祭り」の三社祭を絶対視する、主人公ら銀座睦会の成員への非難を読み取るのは、穿った見方とはいえないだろう。

 つまり本批評では、西脇の批判の最初の矛先は、映画自体ではなく神輿会に向けられている。まとめると、とんでもない力を有しているお祭りという素材に注目する上で、本映画はなぜか神輿会に注目したことで、素材の良さを台無しにしている、これは作家のセンス・“粋さ”の欠如だ、という論調なのである。

 下町生まれ・育ちの批評家がこのように論じる一方で、「お祭り野郎」こと主人公は、狭いアパートで仲間と相部屋生活を続けている。そして彼は、物語の進展につれて、築地を離れ、神奈川県の三崎漁港で働き始める。映画内で明確には論じられていないが、彼は都内に帰る場所を持たない、根無し草なのである。

 彼らのような人びとが、1970年代という時代に、神輿会の成員という形で東京圏の祭礼に関わるようになったこと、そして彼らが、三社祭を「最も良い」祭礼だとする世界観の中で、三社祭における覇権争いに加わっていったことは、興味深いというより他ない。

 本書では、1970年代の東京における人口変動と「神輿ブーム」とを関連づけて論じることはできなかった。だがこの映画では、東京への転入者が「神輿ブーム」を受けて、下町の人口減少が続く祭礼に参入していくことで、ブームが加熱していく様子が確かに描かれている。

 この点については、より詳細な議論が必要である。注*1でも論じた『ふるさとの歌まつり』などの「ふるさと」系テレビ番組の研究を通して、今後、この点を明確にしていきたい。

*  *  *

 本映画は、神輿会の世界にも大きな影響を与えた。とある神輿会の役員は、本映画によって一つの会が過剰に注目された結果、「荒れる原因を作った」と筆者に語った。ほとんどの人がこの映画のことを記憶していないであろう一方で、神輿会の世界では、筆者が参与観察を行った2010年代にもこの映画のことがしばしば語られていたのだ。

 熱狂的な神輿会の会長を主人公とし、ストーリーで三社祭が大々的に取り上げられる大規模公開作品が、今後登場することはまずないだろう。その意味で、当事者にとってこの映画がきわめて思い出深いものであることは間違いない。アカデミックな世界の読者の方々にも、本映画を通して、神輿ブームの空気感を是非とも感じてもらいたい。

 筆者の『神輿と闘争の民俗学──浅草・三社祭のエスノグラフィー』では、『お祭り野郎』といった映画や、『月刊東京タウン情報』『月刊東京情報』『月刊東京情報うるばん』といったタウン誌、『an•an』や『女性セブン』といった女性誌を利用して、神輿ブームのありようを描き出している。その意味で、神輿ブームの当事者の方々にとって、懐かしく、かつ、たいへん「個性的」な書籍だといえよう。

 本書が堅苦しい学術書であることは否めないが、本コラムで登場した様々なキーワードに懐かしさを感じる、神輿ブームの実践者の方々に、本書をお手にとってもらいたいと思っている。加えて、そういった方々や、浅草の人びと、そして、現在40代くらいの、神輿ブームを直接は知らない神輿会の成員の方々から、本書の内容をご批正いただけることを、大変楽しみにしている。


*1 『ふるさとの歌まつり』(1966年〜1974年)、『お国自慢にしひがし』(1974年〜1978年)、『宮田輝の日本縦断 ふるさと』(1975年)といった「ふるさと」系テレビ番組の研究をしている筆者にとって、テレビ番組の現存量の少なさは、抱えている困難の一つである。

*2 いうまでもなく筆者は、映画の分析や映画史を専門に学んだ研究者でなければ、映画評論家でもなく、ただの民俗学者である。そのため、東映任侠映画路線と本作との関係性や、本作の監督である鈴木則文の作品の中での位置付けなどの論点には立ち入らない。

*3 本筋からは逸れるが、例会に集まった銀座睦会の成員の中に、ホワイトカラー(銀行員)がいることが、貴重な尺を使ってあえて描かれている点にも注目すべきだろう。

神輿と闘争の民俗学──浅草・三社祭のエスノグラフィー

三隅 貴史 著

2023年3月31日

定価 4,500円+税

「世の中はそういうものなのだよ」に抗う/室井康成

「世の中はそういうものなのだよ」に抗う

室井康成(『政治風土のフォークロア』著者)

 人生の折々には、思いがけない転機が訪れるものだ。人生100年時代といわれる現代において、その道半ばにも達していない私がそれを語るには、まだ早すぎるだろう。人生の先輩方からみれば、アラフィフとなった私も「鼻垂れ小僧」に過ぎないと自覚している。

 私の転機は、大学の研究員を務めていた34歳の時に訪れた。2011年3月2日未明、現役の零細企業経営者であった父が脳内出血のため突然倒れ、2日後に死亡したのである。「人生は突然中断する」が口癖だった父は、その言葉どおり、意識を失うその日まで働き続けて泉下の人となった。葬儀の日、喪主の挨拶に立った私は、この父の口癖を会葬者に紹介し、「本人は有言実行したから悔いはないだろう。しかし、誰でも人生は突然中断する可能性はあるのだから、どうか皆さんも気を付けてください」という趣旨の話で締めくくった。それからわずか十数時間後、あの東日本大震災が発生し、私たちは多くの人生が突然中断するさまを目撃することになる。

 まもなく、父の会社の関係者や親族、はたまた取引先の金融機関から、私が父の跡を継いで会社経営に携わるべきだとするプレッシャーが陰に陽に掛けられるようになった。私は「家業」が嫌いだったからこそ他の職業を目指した面があり、公私の別を重んじる亡父もまた、家族を社屋の中に入れたことさえなかったし、まして息子を後継者にする意図など微塵もなかったであろう。だから、私にとっては「家業」であっても、そこで誰が、どのような仕事をしているのかさえ、父が死ぬまでまったく知らなかったのである。

 結局、2年あまり逡巡したのち、私は件の「家業」に転じたのである。だが幸いにして、古参のベテラン社員や実業経験のある多くの友人に助けられ、民俗学者の俄か商売も今年で10年目を迎える。人生の偶然の出会いには、感謝しかない。

 しかし、この間の来し方を振り返るに、ますます疑問に感じるのは、社内外に大きな責任を負うべき経営者の後継ぎに期待される資質が、能力や経験は二の次で、血筋が第一義的だとする風潮が根強いことである。少なくとも、中小零細企業の後継者に擬せられた私の経験では、そういう結論になる。実際に、商売相手との交渉でも、私が先代の息子であることがわかると、うまく進捗することがあったし、何かにつけ特別扱いされていると感じるシチュエーションも多々あった。私の場合は、たまたま手助けしてくれる人材が身近にいたため無事に過ごすことができたのだが、今でも私自身は、生来の習熟能力の低さも相まって、ビジネスについては「ド」が付くほどの素人である。ゆえに会社を代表するポジションには本当に資質のある人に就いてもらい、私はこれを支える立場にまわっている。

 こうした個人的経験から、私は、ある職掌において血筋を重んじる風潮は、日本経済の活力を抑制し、社会の機会平等を奪う一因──それどころか主要因──であると感じている。これは「実感の学」たる民俗学に拠って立つ私が、この10年で感得した事柄でもある。子が親の仕事を引き継ぐことは、時に美談として語られる場合もあるが、問題は、そうした風潮が、当該の人間に、自らの意思とは異なる人生を周囲が強いてしまう可能性があることではなかろうか。

 この種の弊の象徴は、何といっても公職たる議員ポストの世襲であろう。折も折、病気のため衆議院議員を辞職した岸信夫元防衛相の後継に、岸氏の長男・信千代氏が名乗りを上げた。信千代氏の伯父は、先年凶弾に斃れた安倍晋三元首相であり、安倍氏の外祖父は岸信介元首相、その弟は佐藤栄作元首相である。つまり、信千代氏の連なる「スジ(=血縁の意)」は、「戦後」と呼ばれる時代の約4割の期間で、国政のトップでありつづけたのである。

 その信千代氏は、出馬表明と相前後して公開したウェブサイト上で、如上の「スジ」に連なる華麗な人脈を、なぜか女性を排除するかたちで図示し、批判を浴びたことは記憶に新しい。この挙を難詰した人々は、世襲のゆえをもって、さしたる苦労もなく国会議員に当選するであろう信千代氏への嫉妬の念もあったに違いない。だが、少なくとも我が国では、あらゆる職掌において血筋を重んじる風潮がある以上、これは今のところ「世の中はそういうものなのだよ」としか言いようがない。

 私が信千代氏に問うことがあるとすれば、「政治家になりたいというのは本心なのか?」の一点である。もし、かかる風潮に飲み込まれるかたちで、氏が自らの意志に反し、他の未来を封印されたのだとしたら、私は氏に心底同情するし、気の毒だと思う。過去には、汚職事件で逮捕・起訴された自民党の世襲代議士が、法廷で「政治家になりたいと思ったことは一度もなかった」という趣旨の言葉を述べて悔恨の情を示し、情状証人となった母親もまた、息子を政治家にしたことは間違いだったと涙ながらに語ったこともあった。

 現代日本を覆う政治的無関心の背景には、やはり世襲議員の跋扈があると思う。「世の中はそういうものなのだよ」という諦念は、そのまま政治の活力を奪っている。だが、よろず職掌は血筋の継承をもって諒とする考え方が日本社会の根底にあり、それが、かかる風潮を発生・維持せしめてきたのもまた確かであろう。そうした考え方こそ「事大主義」であると思うし、事の真偽は別として、これを日本人的恣意の特徴と捉えた民俗学者・柳田国男の慧眼を、私は認めないわけにはいかないのである。

 私見によると、日本社会の閉塞感の根本原因は、「世の中はそういうものなのだよ」という諦念だと思う。ならば、それを打破するための契機を探らなければならない。そのためには、私たちの心裡に定着した民俗=folkloreを可視化させ、その取捨選択を実行するしか方途はないのではないか。「スジ」への事大主義的仮託の心情もまた民俗なり。その「保護・顕彰」だけが民俗学の役割ではない、と改めて思う。

政治風土のフォークロア──文明・選挙・韓国

室井 康成 著

2023年2月10日

定価 3,500円+税

神輿と闘争の民俗学──浅草・三社祭のエスノグラフィー


試し読み

神輿と闘争の民俗学
浅草・三社祭のエスノグラフィー

三隅貴史 著

定価:本体4,500円+税

2023年3月31日刊
A5判上製 / 416頁
ISBN:978-4-909544-31-5


神輿渡御の闘争史
下町・浅草の初夏を熱狂の渦に巻き込む三社祭。
その花形である三基の本社神輿を担いでるのは誰なのか?
神輿の棒を激しい争奪戦で勝ち取ってきた有名神輿会に飛び込んだ著者が、祭りの狂騒と闘争をリアルに描き出すエスノグラフィー。


目次
序章 神輿渡御を闘争として分析する

第一章 民俗学の(複数の)新しい方向性の提示を目指して
一 民俗学的研究の三つの方針
二 「非公式」的祭礼研究宣言

第二章 神輿渡御をどう理解するのか──本書の分析視角
一 東京圏の神輿渡御の社会的背景
二 祭礼研究の地図──分析視角の批判的考察
三 闘争からみる浅草の神輿渡御
四 浅草地域と三社祭

第三章 モノの観点からみる東京圏の神輿渡御
一 神輿とは何か
二 神輿渡御とは何か
三 「江戸前」の美学と標準化した祭礼運営の手法
四 本書は神輿渡御をどのように理解するか

第四章 江戸・東京の祭礼史
一 前史──天下祭における形式性と周辺祭礼における乱痴気騒ぎの時代
二 第一期──町神輿の登場と町会による権威的配分の時代
三 第二期──町会と神輿会との闘争の時代
四 第三期──権威的配分の再成立と社会─祭礼関係の時代
五 町神輿は何をもたらしたか──京都市域の神輿渡御と比較して

第五章 神輿会のエスノグラフィー
一 神輿会の概要
二 A神輿会の概要
三 祭礼の場におけるA神輿会
四 A神輿会内部における人間関係
五 A神輿会の男性性と女性会員
六 A神輿会と他の神輿会の関係
七 神輿会と伝統・宗教
八 A神輿会の社会階層
九 神輿会にとって神輿担ぎとは何か

第六章 町会・青年部による祭礼運営のエスノグラフィー
一 町会の概要
二 B睦会による祭礼運営
三 祭礼運営における論点
四 町会・青年部にとって神輿渡御とは何か

第七章 神輿渡御における地域的共同性はいかにして達成されるか
一 神輿渡御における〈資源配分をめぐる闘争〉
二 「棒振り」と資源の権威的配分
三 〈右肩の会〉と〈左肩の会〉
四 神輿渡御の三者関係
五 地域的共同性の再成立と地域の再統合

第八章 「江戸前」の美学の創造・拡大・定着
一 神輿渡御における「美学」をめぐる闘争
二 「江戸前」以前の美学
三 「江戸前」の美学の創造・拡大・定着
四 「江戸前」スタイルの意味するもの

第九章 神輿を担ぐことの文化政治
一 神輿渡御における神聖化戦略をめぐる闘争
二 三社祭における神聖化戦略をめぐる闘争
三 神輿パレードにおける神聖化戦略をめぐる闘争
四 〈イベントから「伝統」へ〉

結章 まとめと展望
一 本書の要約
二 本書の目的はどこまで達成されたか
三 残された課題

補論 コロナ禍の三社祭を歩く

文献一覧
あとがき
初出一覧
索引→公開中


著者
三隅 貴史(みすみ・たかふみ)

1992年、兵庫県生まれ。2020年 関西学院大学大学院社会学研究科博士課程後期課程単位取得退学。博士(社会学)。
現在、関西学院大学社会学部特別任用助教。民俗学専攻。

主な論文
「東京周辺地域の祭礼における『江戸前』の美学の成立──神輿会に注目して」『日本民俗学』(292)、2017年
「祭礼における共同性はいかにして可能か──東京圏の神輿渡御における町会─神輿会関係を事例として」『ソシオロジ』64(3)、2020年
「日本民俗学におけるインターネット研究の課題──アメリカ民俗学の学説史の検討をとおして」『現代民俗学研究』(14)、2022年

書評・紹介

ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

詩と音楽と現代芸術と/中村三春

詩と音楽と現代芸術と

中村三春(『ひらがなの天使』著者)

 1975年10月、高校生の私は所属していた吹奏楽部の遠征で、盛岡から山形に来ていた。私は中学から大学の教養部の頃までコルネットを吹き、その後はやめてしまったが、特に高校時代、音楽に深く入れ込んだ記憶は消えるものではない。山形ではその時、角川文庫の『谷川俊太郎詩集』を、山形市七日町大通の八文字屋書店で購入した。本書の跋で、やけに詳しい年月が記されているのはその記憶のゆえである。そこに書いたように、現在は2巻本となっている同文庫のⅠにあたる本で、谷川の盟友である大岡信の分かりやすい解説も今と同じであった。

 音楽とともに、私は中学・高校の時分から日本の近代詩に読み耽り、最初は高村光太郎の「猛獣篇」や室生犀星の『愛の詩集』などをノートに書き写したり、模倣して詩を作ろうとしていた。次々と読んだ詩人の中で、やがて強く惹かれたのは中原中也、そして立原道造であった。これに谷川俊太郎を加えれば、だいたい学生時代に頭の中を占めていた私の言葉の出所は尽きる。今も当時も、これらの詩人たちの作品は、私にとって決して過去のものとか、歴史的な作品などではなかった。いずれも現在の自分と密着した言葉としてそれらはあった。中でも特に、戦後に出発した詩人である谷川俊太郎の作品は、抜きん出て親近感が強かった。今から思えば、長じて私が主に詩ではなく小説を研究対象として選んだのは、研究というものに必要な、対象との間の適切な距離を取ることが難しかったことも理由の一つであるかも知れない。研究歴の初期に立原道造論を書いた(ひつじ書房刊『フィクションの機構』所収「立原道造のNachdichtung」)が、愛する詩人の詩をまともに論じることからは、その後ずっと遠ざかってきた。

 ではなぜ今回、谷川俊太郎の作品をまとめて論じることになったのか。これも跋に記したように、1990年代に私は詩集『定義』を論じた(ひつじ書房刊『フィクションの機構2』所収「谷川俊太郎――テクストと百科事典」)。谷川自身も『批評の生理』で述べたように、それは百科事典のパロディであるが、それと同時にネオ・アリストテリシャンのノースロップ・フライが『批評の解剖』で、文芸の「百科全書的形式」を定義していたことが頭にあり、詩と百科事典を結びつけるなんて面白いじゃないかという感覚で、学生時代以来、その時初めて私は谷川に戻って来たのである。後に、百科事典・図鑑を偏愛する人物を鮮やかに描く作家・小川洋子を論じることになる(七月社刊『接続する文芸学 村上春樹・小川洋子・宮崎駿』)のは、もちろん自ら知る由もない。

 本書の注意深い読者は、中核をなす「ひらがなの天使」の第四章から第五章へ移るところで、唐突に有島武郎の名前が登場することに気づかれただろう。有島武郎は、私が卒業論文・修士論文・博士論文と取り上げた作家で、ひつじ書房刊『新編 言葉の意志 有島武郎と芸術史的転回』のタイトルから分かるように、その中心テーマは、近代から現代への芸術の変様、すなわち現代アートの成立と有島がどのように交錯したかを明らかにすることにあった。翰林書房刊『花のフラクタル 20世紀日本前衛小説研究』に緝めたように、久野豊彦や横光利一、はては太宰治まで、芸術的現代を体現したテクストの様式を論じたのも、この問題関心の延長線上にある。

 有島武郎は1878年生まれで、パウル・クレーより一歳年⻑の同時代人であったが、クレーとは異なり、本格的に現代芸術を展開することはできなかった。ところでここに、有島にとって見果てぬ夢であった現代芸術を、流用や模造のほか、翻訳などを契機として獲得したひらがな詩を洗練することにより、あまつさえ、クレーとも絡む形で実現した現代の詩人・谷川俊太郎がいて、既に私はその詩集を一度論じているではないか。また、クレーが音楽家であったのと同じく、谷川俊太郎もモーツァルト、ベートーヴェンなど音楽に造詣が深い。本書で谷川の詩を、ロラン・バルトの〈ムシカ・プラクティカ〉(実践音楽)の遠縁にあると、やや曲解めいた評価をした。私の前に、詩、音楽、そして現代芸術と、これまでずっと思い続けてきた課題が一挙に収斂する場として、谷川のテクストが現れた。このようにして、私は半世紀の道のりの中で谷川俊太郎と三度出会い、本書をまとめることになったのである。

 跋に述べたように、本書は、テクストが他のテクストから作られる第二次テクスト現象を論じた点において、筆者の『接続する文芸学』およびその前の七月社刊『〈原作〉の記号学 日本文芸の映画的次元』と併せて三部作をなす。比較文学や第二次テクストの研究は、受容・影響関係の実証や、アダプテーション理論と呼ばれるような作家と作家、作品と作品との間の比較的緊密な関連性を問題にすることが多かった。それに対して本書で取り上げた概念は、第二次テクスト現象の縁辺に位置づけられる、触発による創造(creation by contact)である。たとえば、谷川俊太郎は、モーツァルトから具体的に影響を受けたか? あるいは、谷川俊太郎の詩は、クレーの絵画と本質的な関係を持つのだろうか? この、そうであるともそうでないとも言えるような、あわい(間)の領域を埋めるのが、今回導入した触発の概念である。しかし、論じるからには気分的な説明ではいけない。果たして読者を触発しうるような論述になっているかどうか。

 そして、本書において、私自身の亡父と同じ生年の谷川の作品を論じることによって、私を培ってくれた、上の世代の人々への、私なりの恩返しをしたいと念じている。

ひらがなの天使──谷川俊太郎の現代詩

中村三春 著

2023年2月28日

定価 2,700円+税

ひらがなの天使──谷川俊太郎の現代詩


試し読み

ひらがなの天使
谷川俊太郎の現代詩

中村三春 著

定価:本体2,700円+税

2023年2月28日刊
四六判上製 / 272頁
ISBN:978-4-909544-30-8


教科書に載り、テレビCMで朗読され、ポップソングとして歌われる……。もはや「国民的詩人」と言っても過言ではない谷川俊太郎の詩業を、第一詩集の『二十億光年の孤独』から88歳時の詩集『ベージュ』まで、深く丁寧に読み込む。モーツァルトとクレーからの触発を核として、現代芸術とも切り結ぶ、谷川俊太郎の魅力とは。


目次

序 沈黙と雑音──谷川俊太郎の現代詩

第1章 言葉の形而上絵画──谷川俊太郎『六十二のソネット』
第2章 現代芸術としての詩──谷川俊太郎『定義』『コカコーラ・レッスン』『日本語のカタログ』
第3章 翻訳とひらがな詩──谷川俊太郎のテクストにおける触発の機能
第4章 ひらがなの天使(上)──谷川俊太郎『モーツァルトを聴く人』『クレーの絵本』『クレーの天使』
第5章 ひらがなの天使(下)──谷川俊太郎におけるクレーとモーツァルト
第6章 挑発としての翻訳──谷川俊太郎の英訳併録詩集『minimal』
第7章 発語の瞬間を見つめて──谷川俊太郎『ベージュ』など


跋 絵本『ぼく』のまわり
初出一覧
索引→公開中


著者
中村三春(なかむら・みはる)

1958年岩手県釜石市生まれ。東北大学大学院文学研究科博士後期課程中退。博士(文学)。北海道大学大学院文学研究院教授。日本近代文学・比較文学・表象文化論専攻。著書に『〈原作〉の記号学 日本文芸の映画的次元』、『接続する文芸学 村上春樹・小川洋子・宮崎駿』(以上、七月社)、『フィクションの機構』1・2、『新編 言葉の意志 有島武郎と芸術史的転回』、『修辞的モダニズム テクスト様式論の試み』、『〈変異する〉日本現代小説』(以上、ひつじ書房)、『係争中の主体 漱石・太宰・賢治』、『花のフラクタル 20世紀日本前衛小説研究』、『物語の論理学 近代文芸論集』(以上、翰林書房)、編著に『映画と文学 交響する想像力』(森話社)など。

書評・紹介

ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)