民俗学の可能性をひろげる──福田アジオ自選民俗学論集Ⅰ


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民俗学の可能性をひろげる
福田アジオ自選民俗学論集Ⅰ

福田アジオ 著

定価:本体5,600円+税

2026年03月16日刊
A5版上製 / 392頁
ISBN:978-4-909544-48-3


過去に完形品があるのではなく、現在もしくは未来に完形品があるのだ──

「君のは民俗学ではない」と言われた福田アジオの方法論は、民俗学の可能性をどのようにひろげてきたのか? 柳田国男の重出立証法を否定し、個別分析法や伝承母体論を提唱してきた福田の理論構築の軌跡を、自著未収録論考や講演などからたどる。


目次
Ⅰ 民俗学の方法
1 近代生活史の可能性
2 民俗資料と民俗展示
3 生活文化と地域─村落史と民俗学─
4 民俗学が読み解く現代
5 地域で深く、世界に広く─座談会後記─
6 民俗学から見た歴史教育の未来

Ⅱ 研究課題の開拓
1 報知と伝達
2 ニソの杜の近代
3 家族の記録と記憶
4 日記・日誌が切り拓く歴史と民俗

Ⅲ ムラ研究の展開
1 日本民俗学と「ムラ」─民俗学の方法の問題として─
2 日本の村落空間と広場
3 大地が語りかけるもの─宿る大地とさえぎる大地─
4 市町村合併と伝承母体─その歴史的概観─
5 生活のムラと支配の村─近世村落の民俗学─

Ⅳ 民俗の地域差と地域性
1 村落景観の民俗的意味─東西日本論序説─
2 伝承地域と民俗の地域差─年中行事の東西日本対比─
3 生活文化にみる地域性

我が民俗学の軌跡
解説 渡部圭一

あとがき
索引→公開中


著者
福田 アジオ(ふくた・あじお)

1941年 三重県四日市市に生まれる
1963年 東京教育大学文学部史学科史学方法論専攻卒業
1971年 東京教育大学大学院文学研究科日本史学専攻修士課程修了
1977年 東京教育大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程満期退学
武蔵大学人文学部、国立歴史民俗博物館民俗研究部、新潟大学人文学部を経て
1998年 神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科教授
2011年 同上定年退職
現在 国立歴史民俗博物館名誉教授

主要著書
『日本村落の民俗的構造』(弘文堂、1982年)
『日本民俗学方法序説─柳田国男と民俗学─』(弘文堂、1984年)
『柳田国男の民俗学』(吉川弘文館、1992年)
『番と衆─日本社会の東と西─』(吉川弘文館、1997年)
『歴史探索の手法─岩船地蔵を追って─』(筑摩書房、2006年)
『日本の民俗学─「野」の学問の200年─』(吉川弘文館、2009年)
『現代日本の民俗学─ポスト柳田国男の50年─』(吉川弘文館、2014年)
『歴史と日本民俗学』(吉川弘文館、2016年)
『種明かししない柳田国男─日本民俗学のために─』(吉川弘文館、2023年)

書評・紹介

ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

不滅のアクション映画魂は南へ/世良利和

不滅のアクション映画魂は南へ

世良利和(『千葉真一、南へ』編者)

出会いはキイハンター
改めて自分の千葉真一体験を振り返ると、最初の出会いはやはりテレビの『キイハンター』(1968-73)だったと思う。私が小・中学校時代を過ごした岡山県北部の寒村には映画館などなかった。通学路に大きな池や牧場があって途中の林にはサルが出るような、鳥取県境の僻地で育ったのだ。学校で巡回上映されるのは文部省選定映画だったし、年に数回バスで1時間ほどかけて出かける街の映画館でも、千葉真一の出演作を観た記憶はない。

いっぽう、小学校の高学年から放送の始まった『キイハンター』は、子どもたちの間でも人気の高い番組で、毎週土曜日の放送を見ていないと翌週の通学時やクラスでの話題に加われなかった。中でも話が一番盛り上がっていたのは、やはり千葉真一がアクション全開で活躍する回だったと思う。

高校生になると、私は映画館が数館ある街で下宿暮らしを始めたが、当時の興味はもっぱら二本立でリバイバル上映される『卒業』(1967)や『ロミオとジュリエット』(1968)などの洋画に向けられていた。東映系の映画館で千葉の出た空手映画やヤクザ映画、ブルース・リーの『燃えよ、ドラゴン』(1973)などを観たのもこの頃だが、私の映画バカ魂に火がつくのはもう少し先のことになる。

お気に入りはこれだ!
千葉が出演した映画には、それぞれお気に入りの場面がある。たとえば『激突! 殺人拳』(1974)では、編笠をかぶった雲水姿の千葉が店先でトマトジュースを飲んでいるが、あのシーンはいったい誰が思いついたのだろうか。あるいは『空手バカ一代』(1977)の冒頭を飾る百人組手のシーンはどうだ。床に油をまかれた千葉は足を滑らせて苦戦を強いられるが、やがて倒した相手を寄せ集めて足場にすると、胴着の帯を足に巻いて戦い続ける。

また『沖縄やくざ戦争』(1976)では、千葉がなぜかズボンの後ろポケットに入れていたペンチを取り出して子分に渡し、室田日出男のペニスをねじ切るという凄惨なリンチを命じる。リンチを眺めながらアイスをかじる千葉の表情はサングラスに隠れて見えないのだが、あのアイスは私の中で『3-4X10月』(1990)のビートたけしがかじるアイスへとつながっている。

そして千葉主演作のイチ押しを挙げるとすれば、『直撃! 地獄拳』(1974)と『直撃地獄拳 大逆転』(1974)の2作品になる。このシリーズでの千葉は甲賀忍法宗家の末裔という設定だった。千葉が演じたのは伊賀の服部半蔵だけではなかったのだ。甲賀忍者がなぜ空手を使うのかはさておき、本シリーズでは笑いの取れる二枚目としての千葉の資質が、石井輝男監督の悪ノリ演出によって存分に引き出されていた。

香港、タイ、ミャンマーへ
ところで千葉真一が「南進」したのは沖縄や台湾だけではなかった。香港との合作や香港映画にもたびたび出演し、『風雲 ストームライダーズ』(1998)では香港アカデミー賞の最優秀主演男優賞にノミネートされた。また中島貞夫監督と組んだ『東京─ソウル─バンコック 実録麻薬地帯』(1972)ではさらに南のタイへ出向き、バンコクだけでなく北部の古都スコータイやチェンマイでもロケを行っている。

なおこの作品で千葉は、ブルース・リーの相手役として後に日本でも人気を集めるノラ・ミャオと共演していた。それにしても千葉真一はタイの風景、気候風土がよく似合う。これ以前にも、長谷川一夫、石原裕次郎、小林旭に宍戸錠、加山雄三といった面々がタイでロケに臨んでいるが、現地への溶け込みという点では千葉に遠く及ばない。

また自ら企画に加わった『激殺! 邪道拳』(1977)では、再びタイで師匠の復讐に立つ空手家を演じている。仇との対決で一敗地にまみれた千葉が、再起をめざす中でコルセットみたいな装置を身につけ、電流の刺激で激しく震えながら肉体のパワーアップを図る場面は笑える。

傭兵部隊の元教官役で主演した『地雷原 A mine field.』(1992)もタイでロケされた作品だった。千葉は妻子を連れて久しぶりにチェンマイを訪れるのだが、政府軍の元部下からは対ゲリラ戦への協力を懇願され、妻と娘は反政府ゲリラに拉致される……うーん、現地のきな臭い情況にも、自分の動きがマークされていることにも気づかないまま、のこのこ家族旅行に出かけるって、千葉ちゃん本当に凄腕の傭兵隊長だったのか? もうひとつ『Yangon Runway』というミャンマーとの合作にも、千葉は武田梨奈演じるヒロインの義父役で参加しているようだが、作品が完成して公開されたのかどうかは不明だ。どなたかご存じであれば教えて下さい。

ということで、せっかちな私は今回上梓した『千葉真一、南へ』の続編本のタイトルをすでに決めている。『千葉真一、さらに南へ』、もうこれしかないだろう。

千葉真一、南へ──アクション映画魂と沖縄・台湾

沖縄映画研究会 編

2026年02月14日

定価 3,000円+税

千葉真一、南へ──アクション映画魂と沖縄・台湾


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千葉真一、南へ
アクション映画魂と沖縄・台湾

沖縄映画研究会 編
(世良利和・名嘉山リサ・藤城孝輔)

定価:本体3,000円+税

2026年02月14日刊
四六判並製 / 320頁
ISBN:978-4-909544-47-6


沖縄へ、台湾へ、そしてハリウッドへ
越境する無敵のアクションスター!

その熱すぎる魂でウチナーンチュを演じ、数多の映画で卓越したアクションを披露してきた千葉真一。
沖縄・台湾に関連する出演作を様々な角度から分析し、「南」へ向かうスターの軌跡を追う。


目次
はじめに 名嘉山リサ

第1章 千葉真一と沖縄への視角──一九六〇~七〇年代を中心に/世良利和

第2章 インタビュー① 千葉真一&中島貞夫監督、沖縄で語る

第3章 ハンゾウ・フロム・オキナワ──『キル・ビル』の服部半蔵表象と千葉真一のスター・イメージ/名嘉山リサ

第4章 インタビュー② 小西通雄監督、千葉真一を語る

第5章 中島貞夫の沖縄へのまなざし──『沖縄やくざ戦争』を中心に/角尾宣信

第6章 三悪追放とエクスプロイテーション──『麻薬売春Gメン』二部作が描く沖縄の日本復帰/藤城孝輔

第7章 一九六〇年代台湾の映画事情──千葉真一主演『カミカゼ野郎 真昼の決斗』を手がかりとして/李政亮

巻末付録 千葉真一と沖縄フィルモグラフィー/藤城孝輔

千葉真一×沖縄──あとがきに代えて/世良利和

索引→公開中


編者
沖縄映画研究会

2017年設立。研究者や学生のほか、映画監督、プロデューサー、テレビディレクター、映画祭主催者、アーキビスト、批評家などの会員からなり、『沖縄映画研究会3周年記念誌──女優・真喜志きさ子』(蜻文庫、2021年3月)を刊行したほか、沖縄関連映像リストやレビューを公式ウェブサイトで公開している。

世良利和(せら・としかず)
法政大学沖縄文化研究所国内研究員、沖縄映画研究会代表。沖縄映画史、映画・アニメ批評。『沖縄劇映画大全』(ボーダーインク、2008年)、『まぁ映画な、岡山じゃ県』1~3(いしいひさいちとの共著、蜻文庫、2013~20年)など。

名嘉山リサ(なかやま・りさ)
和光大学表現学部総合文化学科教授、沖縄映画研究会事務局長。アメリカ映画研究、沖縄映画研究。『よみがえる 沖縄 米国施政権下のテレビ映像──琉球列島米国民政府(USCAR)の時代』(共編著、不二出版、2020年)、「軍楽隊、学校行進バンドと間接的琉米親善──USCAR時代のテレビ番組」(三島わかな編『メディアのなかの沖縄イメージ──文化創造の100年』七月社、2025年)など。

藤城孝輔(ふじき・こうすけ)
広島大学大学院人間社会科学研究科准教授、沖縄映画研究会運営委員長。沖縄映画研究、アダプテーション研究。『村上シネマ──村上春樹と映画アダプテーション』(森話社、2024年)、「想起メディアとしてのホームムービー」(久保豊との共著、ミツヨ・ワダ・マルシアーノ編『映像アーカイブ・スタディーズ』法政大学出版局、2025年)

書評・紹介

ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

民俗・まなびの径 珈琲と欅


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民俗・まなびの径 珈琲と欅

野本寛一 著

定価:本体3,500円+税

2025年12月25日刊
四六判上製 / 360頁
ISBN:978-4-909544-46-9


長く続いた民俗を学ぶ旅もここに果てる。
荷をおろし、旅装を解く時が来た──

半世紀以上にわたり山野河海を歩き続け、無数の人びとから民俗伝承を学び続けた著者が、その来し方を振り返り、この国の行く末を想う。
民俗学者が五感で感じとった、日常生活にひそむ豊かな民俗世界。


目次
序章 コーヒーと栃餅

Ⅰ 自然との交感
一 榎のはなし
二 欅ものがたり
三 木の香り
四 おはよう鶺鴒
五 鹿の糞─連想記─
六 荒神信仰の振幅

Ⅱ まなびの旅
一 人生の水脈立てさん─山崎大抱と抱一会─
二 民俗、まなびの道づれ─八木洋行─
三 旅・人・宿
四 幼い銃後

終章 旅のおわりに
一 樹々を仰ぐ
二 環境変化のさざ波

あとがき


著者
野本 寛一(のもと・かんいち)

1937年 静岡県に生まれる
1959年 國學院大學文学部卒業
1988年 文学博士(筑波大学)
2015年 文化功労者
2017年 瑞宝重光章

専攻──日本民俗学
現在──近畿大学名誉教授

著書
『焼畑民俗文化論』『稲作民俗文化論』『四万十川民俗誌──人と自然と』(以上、雄山閣)、『生態民俗学序説』『海岸環境民俗論』『軒端の民俗学』『庶民列伝──民俗の心をもとめて』(以上、白水社)、『熊野山海民俗考』(人文書院)、『近代文学とフォークロア』(白地社)、『山地母源論1・日向山峡のムラから』『山地母源論2・マスの溯上を追って』『「個人誌」と民俗学』『牛馬民俗誌』『民俗誌・海山の間』(以上、「野本寛一著作集Ⅰ~Ⅴ」、岩田書院)、『栃と餅──食の民俗構造を探る』『地霊の復権──自然と結ぶ民俗をさぐる』(以上、岩波書店)、『大井川──その風土と文化』『自然と共に生きる作法──水窪からの発信』(以上、静岡新聞社)、『生きもの民俗誌』『採集民俗論』(以上、昭和堂)、『自然災害と民俗』(森話社)、『季節の民俗誌』(玉川大学出版部)、『近代の記憶──民俗の変容と消滅』『井上靖の原郷──伏流する民俗世界』『麦の記憶──民俗学のまなざしから』(以上、七月社)、『自然暦と環境口誦の世界』(大河書房)、『民俗誌・女の一生──母性の力』(文春新書)、『神と自然の景観論──信仰環境を読む』『生態と民俗──人と動植物の相渉譜』『言霊の民俗誌』(以上、講談社学術文庫)、『飽食以前──イモと雑穀の民俗』『新修 民俗語彙』(以上、柊風舎)、『食の民俗事典』(編著、柊風舎)、『日本の心を伝える年中行事事典』(編著、岩崎書店)ほか

書評・紹介

ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

有気音と無気音の思い出/津波高志

有気音と無気音の思い出

津波高志(『八重山のアイナーと宮古のアンナ』著者)

 このたびの拙著『八重山のアイナーと宮古のアンナ ―台湾諸語等との関係を探る―』では、琉球語の親族用語を鳥瞰するために、中本正智『図説琉球語辞典』(金鶏社、1981年)にずいぶんお世話になった。

 著者の中本正智(1936-1994)は、沖縄県玉城村(現南城市)の出身で、1960年に琉球大学の国語国文学科を卒業した。中本に拠れば、在学中に、仲宗根政善教授から、「一人一人が、自分の郷里の方言辞典をつくるように」との指導を受けて、先生の『今帰仁方言集』を筆写し、自家用の方言辞典を手がけるようになった、とのことである。
 
 実は、私も同じ学科の出身で、卒業したのは1971年である。仲宗根政善教授は、民俗学を研究するのであれば、音声表記は勉強していた方が良いとおっしゃって、何と、先生の言語学演習の時間に、専攻生数人は先生の向かいに、私は直ぐ側に坐らされた。

 そこで、私を話者にして、先生の質問に答える形で、沖縄国頭方言の中の羽地川上方言の音声表記が始まった。その訓練を受けたことのない私に対しては、先生のノートをそのまま写すように言われた。さすがに、「郷里の方言辞典をつくるように」とはおっしゃらなかったが、自ら表記されたものを写させるということでは、同じ教え方をされていたのである。

 同じ教え方をされても、教えを受ける方の能力の差は歴然としていたようである。自分自身がインフォーマントとして話しているにも拘わらず、私は有気音と無気音の違いが、ゼミ開始時からさっぱり分からなかったのである。実際の例として挙がったのが、「船」と「骨」である。

 質問、「船は何というか」。答え、「プニです」。
 質問、「骨は何というか」。答え、「プニです」。

 先生のノートでは、「船」は[pʼuni]、「骨」は[p‘uni]である。私にはまったく同じ音にしか聞こえないのであるが、「船」の[pʼ]は無気音、「骨」の[p‘]は有気音との説明である。そう言われても、私の耳にはやはり同じようにしか聞こえない。話しているのは、自分自身なのに、である。

 しょうがないので、先生はティッシュペーパーを1枚、口の前に持ってきて、それが動くと有気音、動かないと無気音である、と教えて下さった。そんな調子で、丁寧に教えて頂いても、はっきり分かるのに約2ヶ月ほど要した。思えば、言語学には、入口の入口で、才能なしの判定が下されたのであった。

 とはいえ、悪いことばかりではなかった。沖縄本島北部の現名護市(元の名護町・屋部村・羽地村・屋我地村・久志村)、東村、大宜味村、国頭村などの村々でも実際に[pʼuni]と[p‘uni]の区別があるのか否かを調べ、ゼミのレポートとして提出すれば、それで2単位上げよう、ということになったのである。

 当時は、自家用車があるわけではなく、また公共交通機関もさほど整備されていなかった。それでも、2単位欲しさからであろうか、あるいは有気音と無気音の違いが分かった単純なうれしさからであろうか、20ヶ所以上の村落を訪ね、無事、レポートを提出したのであった。学生時代の懐かしい一幕である。

八重山のアイナーと宮古のアンナ──台湾諸語等との関係を探る

津波高志 著

2025年10月31日

定価 2,700円+税

八重山のアイナーと宮古のアンナ──台湾諸語等との関係を探る


試し読み正誤表

八重山のアイナーと宮古のアンナ
台湾諸語等との関係を探る

津波高志 著

定価:本体2,700円+税

2025年10月31日刊
四六判並製 / 192頁
ISBN:978-4-909544-45-2


八重山・宮古の人びとは、かつてどんな言葉を話していたのか?

日本の西の縁に位置する先島諸島では、かつて琉球語・日本語とは全く別の言葉が使用されていた。現在も使われる「アイナー」(花嫁)、「アンナ」(母)という二語の出自を探ることで、15世紀頃に起こった言語の入れ替えの実相に迫る。


目次
序章 アイナーとアンナ
第1章 先島諸島の言語の入れ替え
コラム① 与那覇勢頭豊見親逗留旧跡碑
第2章 旧言語の想定
第3章 八重山のアイナー
第4章 アイナーと台湾諸語等の「母」
第5章 『宮古方言ノート』のアンナその他
第6章 宮古・八重山における「母」
第7章 宮古における「父」「親」とアンナ
第8章 台湾諸語等における「親」
コラム② 声帯模写と音声表記
終章 アイナーとアンナの語るもの


著者
津波 高志(つは・たかし)

1947年 沖縄県に生まれる
1971年 琉球大学法文学部国語国文学科卒業
1978年 東京教育大学文学研究科博士課程単位取得退学(史学方法論民俗学専攻)
2012年 琉球大学法文学部教授定年退職
現在琉球大学名誉教授

著書に『沖縄社会民俗学ノート』(第一書房、1990年)、『ハングルと唐辛子』(ボーダーインク、1999年)、『沖縄側から見た奄美の文化変容』(第一書房、2012年)、『奄美の相撲─その歴史と民俗─』(沖縄タイムス社、2018年)、『沖縄の空手─その基本形の時代─』(七月社、2021年)など

書評・紹介

ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

久高島祭祀論


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久高島祭祀論

吉成直樹 著

定価:本体5,600円+税

2025年10月10日刊
A5版上製 / 248頁
ISBN:978-4-909544-44-5



琉球祭祀の「古層」

沖縄島南部、その東方洋上に浮かぶ「神の島」は、冬至の朝、「てだが穴」(太陽の穴)に姿を変え、そこから再生した太陽が昇るという。その島で、かつて琉球国王「てだこ」(太陽王)の復活儀礼が行われていたのではないか? 久高島の地方祭祀から、失われた国家祭祀を復元する手がかりを探る。


目次

 一 本書の目的
 二 議論の歴史的舞台

Ⅰ 久高島祭祀の概略
 一 久高島の祭祀組織
 二 ノロとソールイの関係
 三 神の憑依の象徴──ハブイとシルサージ
 四 オナリ神信仰をめぐる問題

Ⅱ 久高島と地方祭祀 八月行事を考える
 一 ソールイマッカネーとマッティ
 二 ヨーカビーとテーラーガミ

Ⅲ 久高島と国家祭祀 国王の行幸をめぐる問題
 一 国王の久高島行幸
 二 久高島と国王の復活儀礼
 三 聞得大君の御新下りと久高島

Ⅳ ニライと「てだが穴」 地方祭祀と国家祭祀
 一 ニライカナイと東方聖地観
 二 ニライのふたつの系譜と祭祀

結びにかえて
 一 オナリ神信仰と宗教政策
 二 久高島行幸をめぐる問題


引用・参考文献
あとがき
索引→公開中


著者
吉成 直樹(よしなり・なおき)

1955年生まれ。秋田市出身。
元法政大学教授。理学博士(東京大学)。地理学、民俗学。

主要著書
『琉球建国史の謎を追って──交易社会と倭寇』(七月社、2022年)、『琉球王国は誰がつくったのか──倭寇と交易の時代』(七月社、2020年)、『琉球王権と太陽の王』(七月社、2018年)、『琉球民俗の底流──古歌謡は何を語るか』(古今書院、2003年)、『マレビトの文化史──琉球列島文化多元構成論』(第一書房、1995年)など。

書評・紹介

ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

水を掬すれば月手に在り──鏡の中の葉嘉瑩


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水を掬すれば月手に在り
鏡の中の葉嘉瑩

行人文化・活字文化 編著

定価:本体3,200円+税

2025年7月29日刊
A5版並製 / 304頁
ISBN:978-4-909544-43-8


1924年、北京に生を享け、大学教員となり、40代なかばにして渡米、カナダで長く教鞭をとり中国詩詞の伝導に邁進したひとりの女性。
70年代後半から、カナダと中国を往復しながら古典文化のすばらしさを人びとに伝え、晩年にはついに帰国を果たす。
文学者・教育者として、また詩人として、中国詩詞を心の友に歩んだ葉嘉瑩の百年の生涯を、自身と知己が語り尽くす一冊。
中国で制作されたドキュメンタリー映画を書籍化。


目次

はじめに

一 植の本 蓬瀛より出でて

白先勇/中国古典詩詞の殿堂に導いてくださった方
瘂弦/スカートをいた士
陳小玲/葉先生は「生きる詩詞『辞書』」
柯慶明/彼女のことを理解するには、その詩詞を読もう
席慕容/詩の教えとは

二 逃禅して隠るを名と借りず

鄭培凱/中華文化の一筋の清流
張鳳/ハーバード大学で出会った葉教授
田暁菲/巨匠の風格を見せ、学者の範となる葉先生
鄺龑子/忘れ難き朝食の縁
方光珞/「道を伝え、業を授け、惑いを解く」ことを真に成し遂げた方
劉元珠・林楷/美しいものを信じる葉先生

三 海を畑に変え宿願を休む

劉秉松/詩詞で生命の苦痛を溶かす葉嘉瑩
施淑/鏡に映す影を味わう
施吉瑞(Jerry Dean Schmidt)/古典中国の代表者
陳山木/魏晋風骨は彼女の風骨
梁麗芳/不確かなことは決して口にしない
王健(Jan Walls)・李盈/ロマンチック精神に富む自律者
王芳/先生と弟子の縁は肉親を超える
施淑儀/変わることなき美しいものへの追求心
謝琰/天意に従ってこそ美しい
卓同年/葉先生は精微な生命体
陶永強・梁珮/彼女の詩を訳す悦び
何方/葉先生は宝庫である

四 天孫は錦を織り成すを要め見る

陳洪/清々しい一筋の風
徐暁莉/「詩は以て興すべく」──詩詞の生命は永遠に変わらず
沈秉和/心字炉香を燃やし焦痕を説く
石陽/詩歌と音楽は生命の内なるリズムと通じ合う
張元/詩の学びは人間としての在り方を学ぶこと
張静/好く一点の紅炉の雪を将りて 散じて人間の照夜灯と作さん
呉浩/明月は積雪を照らし、夜深けて千帳の灯あり──葉嘉瑩の「弱徳の美」を論じる


編著者
行人文化(こうじんぶんか)
台湾に拠点を置く出版社。映像を媒体として人文・文化・芸術など多様な分野に取り組み、社会に独自の映像美学と価値観をもたらすとともに、中華圏の貴重な文化遺産を保存することを使命としている。

活字文化(かつじぶんか)
2014年創業の北京の出版社。良質な書籍を中核とし、マルチメディア形式を活用する文化クリエイティブ機関。書籍や新たなメディア製品は人文社会科学や教養教育の分野をカバーしており、伝統的な出版の古典的意義を継承するだけでなく、文字に新たな命を吹き込む文化的意義の開拓にも力を入れている。

書評・紹介

宮沢賢治を創る人びと[改題増訂版]


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宮沢賢治を創る人びと[改題増訂版]

米村みゆき 著

定価:本体3,000円+税

2025年4月22日刊
四六判並製 / 400頁
ISBN:978-4-909544-39-1



無名の「地方詩人」は、どのようにして国民的作家となったのか?

賢治の神話化の過程を丹念に追い、「デクノボー」イメージの下に隠された、教育への風刺、戦争の影、ケアの思想に迫る。
『宮沢賢治を創った男たち』(日本児童文学学会奨励賞)に、新章やコラムを追加、全体にわたる大幅な加筆と改稿をほどこし、2倍近い分量となった増訂版。


目次
はじめに

第一章 盛岡発・偉人のプロデュース──宮沢賢治を創る人びと
第二章 宮沢賢治の会とその活動

コラム① 高畑勲と宮崎駿のアニメーション映画──賢治童話の映像的誘惑

第三章 宮沢賢治が創り上げられる──草野心平の貢献と移し替えられる「雨ニモマケズ」
第四章 『グスコーブドリの伝記』──講義録、夜学、そして方言撲滅運動

コラム② 読者にとっての『銀河鉄道の夜』とは──〈岩波文庫ヴァリアント〉は何を問うのか

第五章 『どんぐりと山猫』と大正期の教育──隠された“教育ドラマ”を開く
第六章 海を渡った『風の又三郎』──日活映画と文部省作サイレント版

コラム③ 総督府図書館(朝鮮・台湾)の賢治関連書/四川外国語学院(中国)と黄瀛

第七章 飛行と帝国主義──もう一つの又三郎
第八章 旅マタギと資本主義の論理──『なめとこ山の熊』における〈ケア〉の精神

巻末資料① 「聞き書き 私の歩いた道」(菊池暁輝)
巻末資料② 日活映画『風の又三郎』新聞広告

あとがき
掲載論文情報一覧
索引→公開中


著者
米村 みゆき(よねむら・みゆき)

名古屋市生まれ。専修大学文学部日本文学文化学科教授。博士(文学)。
専門領域は日本近現代文学、アニメーション文化論。主な研究対象は宮沢賢治、村上春樹、高畑勲、宮崎駿。

名古屋大学大学院博士課程、日本学術振興会特別研究員(PD)、甲南女子大学文学部専任講師を経て、2009年より専修大学文学部に在職。

著書『宮沢賢治を創った男たち』(青弓社、2003年)で第28回日本児童文学学会奨励賞受賞、『映像作家 宮崎駿──〈視覚的文学〉としてのアニメーション映画』(早稲田大学出版部、2023年)で第11回日本アニメーション学会賞受賞。

書評・紹介

ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

変わることで伝わるもの──奄美シマウタの50年

変わることで伝わるもの──奄美シマウタの50年

杉浦ちなみ(『奄美シマウタと郷土教育──学ばれる「地域文化」』著者)

日本の高度経済成長期の都市文化が、きらびやかさと消費賛美と倦怠とをふりまいていたころで、子どもたちも「都会」という言葉にみんな酔い、しびれていた。東京から転校してきた女の子は絵本からぬけ出した美しさだったし、言葉がまたひどく上品だった。ラジオの長嶋茂雄の活躍に夢ときめかせ、東京オリンピックは初めてこの島にテレビを出現させた。なんだか島の生活や文化、言葉さえもが貧弱に思えた。私自身、心の中に都会への憧れが強まり、早くこの小さな島から抜け出し、大海に漕ぎ出したい思いがふくらんだ。

原井一郎「奄美の復帰後40年の来し方」(『文化ジャーナル鹿児島』No.39、1993年9・10月号、pp.12-13)

 1993年、当時大島新聞社社長だった原井一郎氏はこう記した。原井氏は本土復帰直後の1954年、生まれ故郷の徳島から、母の故郷であった奄美に引っ越してきた。子どもの目にも名瀬の街の疲弊は明らかで、粗末な板葺きやトタン屋根が大半であったという。名瀬で小中学校時代を過ごした同氏は、続けて「自らの文化を卑下してきた罪深さと、地域興しさえままならぬ無能に自失、というのが大方の今のローカルの姿ではなかろうか。」と述べた(なお原井氏は現在も、奄美に関する多くの著作を精力的に執筆されている)。

 この感覚は、戦後の高度成長からバブル経済の時代を地方都市で過ごした方ならばかなりの程度共有しうる感覚ではないだろうか。端的にいえば、方言や芸能といった地域固有の文化に対する卑下と、都市的なものへの憧れの感覚である。じっさいに奄美では、昭和戦後に至るまで共通語教育が学校で行われ、シマウタも生活の中で歌われこそすれ積極的に保護されることはなかった。そこには、奄美を出て「本土」で働いても不自由や差別のないように、という教育関係者の願いがあったことも無視はできない。

 一方で、平成時代の地方都市で幼少期を過ごした私はこのような感覚を持たない。地域文化というものを自分の中にもたず、消費文化の中で育つ中で、地域固有の文化というものにどこか憧れのようなものすらあった(ただし、かといって国や企業が推進する地域文化振興にも違和感をおぼえていた)。それを歴史に対する無知、あるいは無邪気なオリエンタリズム、ノスタルジーとして批判することはもちろん可能だろう。しかしそれが飾らぬ実感だった。

 そんななかで、大学学部生の頃に出会った奄美のシマウタは強烈な魅力を放っていた。その魅力にひかれ卒業論文、修士論文と奄美の調査を進めるうち、博士課程に進学してから、郷土教育という当初は思いもよらぬテーマを扱うことになった。対象に導かれて未知の場所に至る、というのはフィールドワークの醍醐味でもある。

 本書を開くと、各地でお世話になった方々のお顔が浮かぶ。最初の調査から刊行まで15年近くかかった。お届けできないまま亡くなってしまわれた方もいる。私の不徳のいたす所というほかない。

 奄美のシマウタは、生活の中で脈々と伝承されてきた、とのみ純粋に語ることはできない。本書が主に扱ったのは過去50年ほどの歴史だが、1970年代以降の民謡ブーム、文化財制度や公民館の整備、全県的な郷土教育の推進といった官民多様な要素の影響を受けつつ、少しずつ形を変えながら今日に至っている。その融通無碍さこそに奄美シマウタの魅力と本領があり、同時にそれが地域文化のもつ豊かさではないかと感じている。

 とはいえ課題も多く残る。奄美の魅力を学んでいく入口に私自身がようやく立てたという感覚である。これから長い時間をかけて、探究していきたい。読者の皆様にも、本書が奄美のゆったりした魅力、その根底にあるしなやかな勁さに触れるきっかけになればさいわいである。

奄美シマウタと郷土教育──学ばれる「地域文化」

杉浦ちなみ 著

2025年6月20日

定価 5,400円+税