詩と音楽と現代芸術と/中村三春

詩と音楽と現代芸術と

中村三春(『ひらがなの天使』著者)

 1975年10月、高校生の私は所属していた吹奏楽部の遠征で、盛岡から山形に来ていた。私は中学から大学の教養部の頃までコルネットを吹き、その後はやめてしまったが、特に高校時代、音楽に深く入れ込んだ記憶は消えるものではない。山形ではその時、角川文庫の『谷川俊太郎詩集』を、山形市七日町大通の八文字屋書店で購入した。本書の跋で、やけに詳しい年月が記されているのはその記憶のゆえである。そこに書いたように、現在は2巻本となっている同文庫のⅠにあたる本で、谷川の盟友である大岡信の分かりやすい解説も今と同じであった。

 音楽とともに、私は中学・高校の時分から日本の近代詩に読み耽り、最初は高村光太郎の「猛獣篇」や室生犀星の『愛の詩集』などをノートに書き写したり、模倣して詩を作ろうとしていた。次々と読んだ詩人の中で、やがて強く惹かれたのは中原中也、そして立原道造であった。これに谷川俊太郎を加えれば、だいたい学生時代に頭の中を占めていた私の言葉の出所は尽きる。今も当時も、これらの詩人たちの作品は、私にとって決して過去のものとか、歴史的な作品などではなかった。いずれも現在の自分と密着した言葉としてそれらはあった。中でも特に、戦後に出発した詩人である谷川俊太郎の作品は、抜きん出て親近感が強かった。今から思えば、長じて私が主に詩ではなく小説を研究対象として選んだのは、研究というものに必要な、対象との間の適切な距離を取ることが難しかったことも理由の一つであるかも知れない。研究歴の初期に立原道造論を書いた(ひつじ書房刊『フィクションの機構』所収「立原道造のNachdichtung」)が、愛する詩人の詩をまともに論じることからは、その後ずっと遠ざかってきた。

 ではなぜ今回、谷川俊太郎の作品をまとめて論じることになったのか。これも跋に記したように、1990年代に私は詩集『定義』を論じた(ひつじ書房刊『フィクションの機構2』所収「谷川俊太郎――テクストと百科事典」)。谷川自身も『批評の生理』で述べたように、それは百科事典のパロディであるが、それと同時にネオ・アリストテリシャンのノースロップ・フライが『批評の解剖』で、文芸の「百科全書的形式」を定義していたことが頭にあり、詩と百科事典を結びつけるなんて面白いじゃないかという感覚で、学生時代以来、その時初めて私は谷川に戻って来たのである。後に、百科事典・図鑑を偏愛する人物を鮮やかに描く作家・小川洋子を論じることになる(七月社刊『接続する文芸学 村上春樹・小川洋子・宮崎駿』)のは、もちろん自ら知る由もない。

 本書の注意深い読者は、中核をなす「ひらがなの天使」の第四章から第五章へ移るところで、唐突に有島武郎の名前が登場することに気づかれただろう。有島武郎は、私が卒業論文・修士論文・博士論文と取り上げた作家で、ひつじ書房刊『新編 言葉の意志 有島武郎と芸術史的転回』のタイトルから分かるように、その中心テーマは、近代から現代への芸術の変様、すなわち現代アートの成立と有島がどのように交錯したかを明らかにすることにあった。翰林書房刊『花のフラクタル 20世紀日本前衛小説研究』に緝めたように、久野豊彦や横光利一、はては太宰治まで、芸術的現代を体現したテクストの様式を論じたのも、この問題関心の延長線上にある。

 有島武郎は1878年生まれで、パウル・クレーより一歳年⻑の同時代人であったが、クレーとは異なり、本格的に現代芸術を展開することはできなかった。ところでここに、有島にとって見果てぬ夢であった現代芸術を、流用や模造のほか、翻訳などを契機として獲得したひらがな詩を洗練することにより、あまつさえ、クレーとも絡む形で実現した現代の詩人・谷川俊太郎がいて、既に私はその詩集を一度論じているではないか。また、クレーが音楽家であったのと同じく、谷川俊太郎もモーツァルト、ベートーヴェンなど音楽に造詣が深い。本書で谷川の詩を、ロラン・バルトの〈ムシカ・プラクティカ〉(実践音楽)の遠縁にあると、やや曲解めいた評価をした。私の前に、詩、音楽、そして現代芸術と、これまでずっと思い続けてきた課題が一挙に収斂する場として、谷川のテクストが現れた。このようにして、私は半世紀の道のりの中で谷川俊太郎と三度出会い、本書をまとめることになったのである。

 跋に述べたように、本書は、テクストが他のテクストから作られる第二次テクスト現象を論じた点において、筆者の『接続する文芸学』およびその前の七月社刊『〈原作〉の記号学 日本文芸の映画的次元』と併せて三部作をなす。比較文学や第二次テクストの研究は、受容・影響関係の実証や、アダプテーション理論と呼ばれるような作家と作家、作品と作品との間の比較的緊密な関連性を問題にすることが多かった。それに対して本書で取り上げた概念は、第二次テクスト現象の縁辺に位置づけられる、触発による創造(creation by contact)である。たとえば、谷川俊太郎は、モーツァルトから具体的に影響を受けたか? あるいは、谷川俊太郎の詩は、クレーの絵画と本質的な関係を持つのだろうか? この、そうであるともそうでないとも言えるような、あわい(間)の領域を埋めるのが、今回導入した触発の概念である。しかし、論じるからには気分的な説明ではいけない。果たして読者を触発しうるような論述になっているかどうか。

 そして、本書において、私自身の亡父と同じ生年の谷川の作品を論じることによって、私を培ってくれた、上の世代の人々への、私なりの恩返しをしたいと念じている。

ひらがなの天使──谷川俊太郎の現代詩

中村三春 著

2023年2月28日

定価 2,700円+税