ブラントンの灯台を巡る旅/稲生淳

ブラントンの灯台を巡る旅

稲生淳(『明治の海を照らす』著者)

 私が生まれ育った串本町には樫野埼灯台と潮岬灯台があるが、これらの灯台は地元の人間にとっては遠足の定番コースといった存在で、特別な感情を抱いたことはなかった。しかし、20年前、所用で東京に行った帰り、三浦半島にまで足を延ばした折、たまたま立ち寄った観音埼京急ホテルでもらった小冊子「なぎさ」(京浜急行電鉄広報誌)の中に「横浜公園とブラントン」について書かれた一文を見つけた。ブラントンという名前に、どこか聞き覚えがあり調べてみると、樫野埼と潮岬の両灯台を造ったイギリス人技師であることがわかった。彼はスコットランド出身で明治政府が雇った最初の外国人だった。

 それまでに私はスコットランドを2度訪れたことがあり、エディンバラやインバーネスの都市以外にも、レンタカーでグレートブリテン島北東端のジョン・ノ・グローツやスカイ島にも足を伸ばしたが、灯台は一つも見てこなかった。ブラントンについて知るまでは、スコットランドが灯台先進国であり、我が国の灯台建設に多くのスコットランド人が関わっていたことなどを知る由もなかったのである。それ故に、ブラントンを知ってからは、上京する度に、横浜開港資料館などで、『イラストレイテッド・ロンドン・ニュース』や『ファー・イースト』などの外国雑誌に、灯台やブラントンに関する記事が掲載されていないかどうか調べたりした。

 また、ブラントンが造った各地の灯台にも足を運んだ。犬吠埼灯台、剱埼灯台、石廊埼灯台、安乗埼灯台、樫野埼灯台、潮岬灯台、友ヶ島灯台、和田岬灯台、江埼灯台、部埼灯台、六連島灯台、角島灯台、伊王島灯台などである。フランス人技師ルイ・フェリックス・フロランが造った野島埼灯台、品川灯台(博物館明治村内に保存)、観音埼灯台、城ヶ島灯台も訪ねた。

 角島灯台を初めて訪問したのは1999年3月末のことである。角島大橋が架かる以前で、特牛港から連絡船に乗って渡った。灯台には、定期点検のため萩航路標識事務所の職員の方々が訪れていた。職員の方々のご厚意で灯台内部を見学させていただくことができ、レンズの置台にスティーブンソン社のプレートを見つけた時には宝物を発見したような気分だった。

 部埼灯台には門司からタクシーをチャーターして行ったが、道中、運転手から「僧清虚」の話を教えてもらった。伊王島灯台に行った際は時間に余裕がなく、伊王島の桟橋からレンタサイクルで灯台のある所まで坂道を駆け上った。六連島には下関の竹芝桟橋から連絡船で行った。小さな島ゆえに店もなく、空腹を紛らわせるために手持ちのお茶を飲みながら、港で帰路の船を待った。

 灯台は半島や岬、離島にあるため、灯台巡りにはかなりの不便も覚悟しなければならないが、本州最南端で生まれ育った私には「端っこ」を目指す習性があるのかもしれない。ちなみに、世の中には「先端愛好家」というべき人々がいて、彼らを「端から端まで族(end to end race)」というそうだ。イギリスでは、南西端のランズ・エンドからスコットランド北東端のジョン・ノ・グローツ間は、グレートブリテン島で最も長い距離となるため、自転車や徒歩の出発地点及び到着地点として親しまれている。イギリスで「フロム・ランズ・エンド・トゥ・ジョン・ノ・グローツ(from Land’s End to John o’ Groat(‘)s)」と言えば、「究極の旅路」「かなりの距離」という意味だそうだ。

 日本最東端の納沙布岬灯台から九州本土最南端の佐多岬灯台(灯台は大輪島にあるのだが)まで、ブラントンの灯台を巡る旅に出かけてみるのもおもしろいのではないだろうか。

明治の海を照らす──灯台とお雇い外国人ブラントン

稲生 淳 著

2023年11月28日

定価 3,200円+税