更生計画書のむらを歩く/和田健

更生計画書のむらを歩く──ことばの裏表

和田健(『経済更生運動と民俗』著者)

むらの息づかいが感じられる更生計画書
昭和恐慌ののち日本全国の農山漁村を襲った不況から立て直しを計ることを目的にとした国家施策に、農山漁村経済更生運動があります。経済更生運動では、更生指定された各町村が経済不況を乗り切るための具体的な計画を立てます。それが更生計画書です。例えば、各家が簿記をつけて農家経済を立て直す指導や、生産力拡大のため開墾や暗渠排水をすすめるなど農村経済の向上を立案することに加えて、生活改善や精神の作興といった日常生活に関わることにも立ち入って記されています。日常の中で行われ伝承されてきた民俗慣行に対して改めることを求める記述もあります。
各町村で立案された更生計画書の記述は、むらのさまざまな息づかいやその時代の「空気」を想像させてくれるものでした。本書でも書いたのですが、筆者が茨城県の農山漁村を回る機会が多かったこともあり、本書で対象としたむらの更生計画書は、私にとって現地を歩いて見聞きしたことと重なることが多々ありました。

「葬式の香典でいくら出したか、貼り出すのが常識だ!」
私が20年ほど前、このようなことをいわれました。聞き取り取材したあるむらで「香典は金額を記して、参列者に見えるように貼り出す」ということを聞きました。「悪趣味だな」とそのときには思いましたが、そのむらの更生計画書では「香典額を書いた貼り紙はしてはいけない」という趣旨の生活改善指導が記されています。このことは悪い慣習、すなわち陋習であるから改めよということなのだと思います。しかし今から20年前(2000年前後)の私がそのむらで見聞きした様子を思い出すと、引き続いて香典額を書いて貼り紙をしていました。このことを改めて考えてみると、香典額は家格を示すものでもあり、また葬家との関わりを示す重要な尺度でもあります。そして香典額を公開することにより、むらにおける家々の関係性を表している、ということなのでしょう。昭和7年~12年(本書で対象とした1930年代半ば)において、「香典額を書いて貼り紙をしてはいけない」と記された生活改善指導よりも、家々の関係性を示す民俗慣行をつづけることを選んだ、といえます。

もっとも、葬式ではなく、全国あらゆるところで行われるお祭りでも、「誰からいくらいただきました」とわかるように、寄付金、協賛金の額と寄付者、団体の名前が貼り出されます。誰からいくらもらったお金であるかを公開することは、個と組織の関わりを表象する行為であると捉えると、陋習とだけで断じるのは、一面的なのかもしれません。
(でも私のなかでは「やはり悪趣味だな」の意識は消えません(苦笑)。)

「共同」の裏表
このように更生計画書に記された生活改善指導を守らないで伝承されていく民俗慣行もあるのですが、それでは更生計画の目標は達せられません。指導内容の確守徹底を計る仕掛けも更生計画書では記されています。例えば計画を守るための宣誓書(誓約書)を用意し、家長が署名捺印するといった、契約的観念をむら社会に持ち込んで、更生計画の遵守を求める方法も出てきます。しかし書面による縛りよりも、「みんなで守らないといけない」「お互い頑張ろう」という、そのむら社会における「空気」が確守徹底を働きかけているように思います。その「空気」が見えざる強制力につながっていくこともあります。何かしらの抑圧的な同調圧力です。

この同調圧力と関連してなのですが、「共同」ということばには裏表があるのでは、とも思いました。「共同」は、みんなで行うことを肯定的に捉えるニュアンスを含んでいます。更生計画書にも多々出現することばです。しかしこの「共同」を別の観点から考えると、実は怖い要素もあるのではと感じるのです。更生計画で積極的に取り組まれたものとして「賃金対価を前提としない共同労働」「肥料の共同購入」「品種、規格を揃えた収穫物の共同出荷」などがあげられます。ある意味「みんなで力を合わせて農村不況を乗り切ろう」という流れで、肯定的に捉えられます。しかし共同で行う、みんなで行うことには負の側面もあるように思うのです。みんなで守るためには個々人の価値観や判断は挟まない。守らないのは自分勝手である。このような心性が「共同」の根底にあるように思います。むらの中でもきまりを守らない家に対しては、近隣の家々含めて連帯的な責任を取らされることもあり、またパージしていく「空気」を作っていく場合あります。これは本書で対象とした茨城県の資料では見かけなかったのですが、ある県の更生指定村のリーダーが雑誌に投稿した手記があります。その手記を要約すると、婚礼では娘に持たせる着物に絹織物を使わないと、むらで決めたにもかかわらず、それを持たせた家があったが、その家はむらに住めないようにして追い出したというものです。いわゆる村八分にしたのですが、この手記では「守らない家が悪い」というトーンで、更生計画を進めるためにはこれくらい徹底しないとダメだと、誇らしく書かれていました。おそらくこのようなむらの「空気」にも濃淡はあると思うのですが、誓約書のような文書による遵守よりも、共同監視による同調圧力としての「空気」の怖さを想像してしまいます。「共同」というニュアンスも正の側面と負の側面があるように思えます。

たしかに計画の遵守には共同による連帯は必要です。個々人バラバラでやっても効果はない。共同でやることで効果があがる。肥料の共同購入は、個々の農家が肥料業者から悪質かつ高額なものを買わされることを防ぐ効果はありました。しかしそのような正の側面だけではないように思うのです。共同で行うことの負の側面、それは個々人の判断は劣位におかれているということです。これは現在の日本社会においてもあらゆる側面で人々の心に埋め込まれているように思うのです。言い換えれば、個々人の考えや意見を出すことは「わがまま」と評価され、みんなにあわせてやっていくことは「絆」「団結」などと評価される。このような思考停止に陥らないように、「共同」のニュアンスを、改めて考えほぐしていくことが重要なように思いました。

「自粛」と相互監視
みんなで規則を守ることの裏面的要素を考える。共同で行うことの表面と裏面を考える。物事には正の要素と負の要素がある。自らの聞き取り取材で見聞きしたことと更生計画書の記述を照らし合わせて、ことばの持つ裏面的な要素を考え直すきっかけとなりました。
そして改めて現在よく使われる「自粛」ということばの危うさも感じました。「自粛」は自らすすんで行うことに本来の意味があるはずですが、他者からの見えざる強制力を前提として、現在では裏面的要素が付加されています。2020年春の1回目の緊急事態宣言中に、営業していた飲食店、パチンコ屋に「自粛しろ」ということばを浴びせていた事態には、ちょっとおかしい共同監視ではないか、と感じた人も多いと思います。政府が国民に自粛をお願いし、国民相互に緩やかに相互監視させる。このような方向性の施策は現在もつづいていると思います。そのことの危うさも、1930年代の更生計画書と現在の社会状況とを照らし合わせて、改めて考えました。

誰にとっての「模範」なのか
もうひとつ、更生計画書を読んで気になったことばに「模範」があります。「模範」ということばは計画書本文に多用されていませんが、むらを挙げて更生計画の遵守を徹底すると「模範村」として評価され、特別助成がされました。しかしこの「模範」とは、著しく農村経済の復興を遂げたということよりも、むらが団結して精神の作興に取り組んだことに対しての評価であると私は感じます。四大節を行うことや国旗掲揚を徹底し、陋習を廃し生活改善指導を遵守する。そして節約をして税金を滞納しない。貯金組合を作り貯金に励む。それは郡町村の行政そして国家にとっての模範村です。「模範」はよいお手本のニュアンスがありますが、誰のためのよいお手本なのかを考える必要はあると思うのです。「模範」ということばにも表面、裏面があることも、更生計画書を読んで学びました。

「空気」に流される
明文化された更生計画でも、反対的な態度を取っている例もあります。冒頭で述べた「香典額を参列者に見えるように貼り出す」という行為が現在もつづけられていることを考えると、自分たちの論理を優先するむら柄を感じます。また「冗費につながるので花輪は葬式で出さない」と書かれていても、「あそこの分家が出しているのに自分の家が出さないのはおかしい」といってやはり花輪を出す。模範的かどうかの価値尺度ではなく、むらそれぞれの価値判断を感じます。日本の農村をひとくくりにはできない個性も感じました。

最後に更生計画書では必ずふれられている「お酒」について記します。「葬式で酒を出すことは禁止する」と禁酒を明文化した計画書は大多数でした。
「できるわけないよな」
と突っ込みながら読んでいると、
「お酒は1升までとする」
と禁酒を少し緩めたあるむらの更生計画書にも出会いました。それでもやはり、
「これもできなかっただろうな」
と思いながら読みました。
「まあ、いいか。葬式なんだからもう少しお酒を出すか。浄めないと。」
といった、相互監視や抑圧とはまた別の「空気」に流されていく一面もあったのではと、勝手に想像しました。

経済更生運動と民俗

和田 健 著

2021年2月20日

定価 4,500円+税