『お祭り野郎:魚河岸の兄弟分』論──サブスクで振り返る1970年代の「神輿ブーム」/三隅貴史

『お祭り野郎:魚河岸の兄弟分』論
──サブスクで振り返る1970年代の「神輿ブーム」

三隅貴史(『神輿と闘争の民俗学』著者)

 本書の序章、「神輿渡御を闘争として分析する」では、本書のキーワードである「闘争」から神輿渡御を分析するという着想を筆者が得た、2017年5月21日早朝の三社祭一般宮出しの様子や、先行研究として取り上げる祭礼研究の大まかな見通し、本書の最大の特徴と目的、そして、民俗学、民俗芸能や祭り・行事研究、地域社会/都市社会研究、社会学、人類学、カルチュラル・スタディーズ、メディア研究、若者・ジモト研究、歴史学などの領域に愛着を持つ読者に対する本書の内容紹介を、約5,000文字の分量で書き下ろした。

 そしてこの文章は、七月社のWebサイト内の「試し読み」コーナーにて、すべて読むことができる。ざっくりと本書がどういった内容の書籍なのかを知りたい方々は、ぜひお読みいただきたい。

*  *  *

 本書にて筆者は、日本において神輿が最も盛り上がった時代として、1970年代前半から1980年代半ばの「神輿ブーム」を取り上げた。神輿という「趣味」が、熱狂的愛好家という限られた範囲を超えて大衆化したという意味で、この時代に並ぶ時代はない。そして筆者は、現時点では、これに並ぶ時代が今後再来するとは考えていない。

 そんな「神輿ブーム」のありようを、誰もが容易に振り返ることができる映像資料などはないものだろうか。サブスクの発展が、こんな無理難題を解決してくれた。なんと、本書でも内容を紹介した『お祭り野郎:魚河岸の兄弟分』(東映、1976年。以下、『お祭り野郎』と略す)が、いまや某定額動画配信サイトで配信されているのだ!

 筆者がノートを取りながらこれを見た2016年には、中古VHSを購入して、ビデオデッキ(もちろん一人暮らしの院生の家にあるはずもなく、大学の共同研究室の隅に追いやられていたものを借りて、大学で見た)で見るしか、ほぼ手段がなかったというのに! この時代のテレビ番組がほとんど現存していないのと比較すると、対照的といえる*1

 『お祭り野郎』については、本書で以下のように論じた。実は、元になった博士学位申請論文ではもっと多くの紙面を割いて論じていたのだが、書籍化の際に泣く泣く分量を削減した結果、これだけの記述しか残らなかったのだ。

このような出版・放送メディアにおける神輿会への注目の中で、最も顕著なものとしては、松方弘樹演ずる熱狂的な神輿会成員を主人公とする、類例を見ない映画『お祭り野郎:魚河岸の兄弟分』(一九七六年)が挙げられる。本映画は、実際に存在したある神輿会とその会長をモデルにしており(『月刊東京情報』一九七八年二月号、一三頁)、二〇以上の神輿会が宣伝・エキストラに関わっている。
(本書、一七七頁)

 さらに、『お祭り野郎』をめぐっては、入稿前に追加するか迷った挙句、結局本書に追加しなかった議論がある(以下のポイント③にあたる)。ということで、東京圏の神輿渡御の研究をしている研究者として、『お祭り野郎』に鮮明に記録されている1970年代の神輿ブームのありようについて、見所を以下の3点から解説しておこう*2

ポイント①:1975年頃の「江戸前」スタイル

 なんといっても、本映画の中では、この頃から新興の神輿会、そして、一部の町会成員の間で定着が見られる「江戸前」スタイル(本書118頁と、第8章にて詳述)に注目してもらいたい。カラー映像でこれらが残されているという意味において、『お祭り野郎』は一線級の「映像資料」なのである。

 映画の中では、それ以前のスタイルである、半纏・ダボシャツを脱ぎ捨てたようなスタイルや、半ももなどを着用した人びとも見られる。しかし、松方弘樹演ずる主人公を中心として、鯉口シャツ・草鞋・紺の腹掛けと股引き・紺の地下足袋、会半纏という、「江戸前」スタイルが採用されていることが、一目瞭然である。そして、この映画における担ぎ手の服装は、現代の東京圏でしばしば見受けられる「江戸前」スタイルのありようと、大きな差がないといってよい。

 その他、本書で論じた内容と重複する、注目してもらいたい点として、「江戸前」担ぎ的な「一拍子」と称される掛け声(冒頭の九州での神輿担ぎの場面を除く。本書119頁と第8章にて詳述)、女性の担ぎ手の一般化(本書224頁から226頁にて詳述)、そして、会の成員で揃って斜め45度に手を上げるという形式で行われる、今ではあまり見られないマスゲーム的所作(本書120頁にて詳述)などがある。

 1972年頃の鳥越祭が映し出されている『祭りだお化けだ全員集合!!』(松竹、1972年。これはかなり多くのサブスクのラインナップに入っている)では、ドリフの面々が「江戸前」スタイルで神輿を担いではおらず、「江戸前」スタイルの担ぎ手はそう多くない。鳥越祭は、三社的な美学を積極的に取り入れてこなかった祭礼ではあるが、この二作品で描かれている表現の差異は興味深いものである。

ポイント②:神輿会のフォークロアと神輿会同士の意地の張り合い

「てめえら腰抜けの祭りのグループなんぞ、聞いたわけねえぜ。いっぱしの顔する前に、俺らのとこに修行に来な!」
「何言ってるの。浅草いろははね、神輿同好会よ。喧嘩をするためにあるんじゃないの。」
(映画内の台詞より)

 三社祭や「江戸前」スタイルという「祭礼のありよう」が描かれている一方で、この当時の神輿会という組織のフォークロアが描かれていることも、本映画の魅力の一つである。

 主人公が所属する銀座睦会の「溜まり場」とそこでの成員同士の交流に注目してみよう。銀座睦会はしばしば、クラブ(?)や成員が働く銭湯などで交流の機会を持っている*3。そしてこれは、この時代の神輿会でしばしば見られたもののようだ。

 本書で1970年代の神輿会のありようを示すためにしばしば引用したタウン誌『月刊東京タウン情報』『月刊東京情報』『月刊東京情報うるばん』では、「喫茶スナック××で第1土曜日に例会」といった記載が見られる。現在ほど簡単に連絡を取り合うことができない、この時代の趣味集団のフォークロアを読み取ることができよう。

 また、この当時の祭礼でも、喧嘩は重要な要素の一つだったようだ。本映画では、神輿場での担ぎ手同士の喧嘩は描かれていないものの、神輿会の成員同士の煽り合いと喧嘩、そして、それをたしなめる台詞がしばしば見られる。上で引用した台詞は、その代表的なものである。

 喧嘩をして帰ってきた神輿会の成員を、「神輿会は神輿を担ぐためにあり、喧嘩をするためにあるのではない」とたしなめる場面は、昔も今も変わらない、神輿会成員のあふれんばかりの男性性を象徴する場面といえる。本映画の中での、密かな筆者のお気に入りの場面である。

ポイント③:根無し草(神輿会成員)VS下町生まれ・育ち(町会成員)

「銀座睦会の当面の目標、浅草三社祭でイニシアチブを取ることだ!」
「もうすぐ日本三大祭りの一つ、浅草の三社祭があんだ。」
(映画内の主人公の台詞より)

東京の下町に生まれ育ち、つい昨年まで(もちろん今年もやるが)二五年以上もミコシをかついできた私(いや、私の仲間もふくめて)にとって、こんなお祭り野郎などチャンチャラおかしくって、松田政男風にいえば涙がちょちょぎれるのだ。というより、実に腹立たしいかぎりだ。/ぬけぬけと「お祭り野郎」と名うったこの作品は、一体、“祭り”の何を表現したかったのか。(中略)その貧しさは目をおおうばかりだ。
(西脇英夫,一九七六,「日本映画批評:お祭り野郎 魚河岸の兄弟分」『キネマ旬報』通巻一五〇〇号、一七三頁)

 最後に、本書の主要なテーマである町会と神輿会との闘争という視角から、最も興味深い点を論じていこう。そこで取り上げるのが、上に引用した、東京の下町生まれ・育ちの西脇英夫による、本映画に対する酷評である。

 本映画を、日本映画史に渾然と輝く傑作であると断言することは困難であると言わざるを得ない。この酷評にもある程度は賛同できる。

 しかし筆者は、西脇による酷評を、『お祭り野郎』の純粋な出来栄えに対して向けられたものとして読み取るよりも、西脇という下町の町会成員による、『お祭り野郎』で描かれた「お祭り野郎」こと主人公、つまり、熱狂的な神輿会成員に対する理解不可能性の表明として読み取る方が妥当だと考えている。

 具体的に説明していこう。西脇は『お祭り野郎』が、「年に一度のその日を待ち」、祭りの日に狂気につかれたように暴れ回る人びとと、普通の人びとをそのように変えてしまう祭りの魔力について、観光映画ほどにも語ることができていないと手厳しく批判する。

 「年に一度のその日を待ち」とあえて記載した西脇の文章から、様々な祭礼で神輿を担ぎ、地元の祭りではなく、高い人気を集めるに至った「日本三大祭り」の三社祭を絶対視する、主人公ら銀座睦会の成員への非難を読み取るのは、穿った見方とはいえないだろう。

 つまり本批評では、西脇の批判の最初の矛先は、映画自体ではなく神輿会に向けられている。まとめると、とんでもない力を有しているお祭りという素材に注目する上で、本映画はなぜか神輿会に注目したことで、素材の良さを台無しにしている、これは作家のセンス・“粋さ”の欠如だ、という論調なのである。

 下町生まれ・育ちの批評家がこのように論じる一方で、「お祭り野郎」こと主人公は、狭いアパートで仲間と相部屋生活を続けている。そして彼は、物語の進展につれて、築地を離れ、神奈川県の三崎漁港で働き始める。映画内で明確には論じられていないが、彼は都内に帰る場所を持たない、根無し草なのである。

 彼らのような人びとが、1970年代という時代に、神輿会の成員という形で東京圏の祭礼に関わるようになったこと、そして彼らが、三社祭を「最も良い」祭礼だとする世界観の中で、三社祭における覇権争いに加わっていったことは、興味深いというより他ない。

 本書では、1970年代の東京における人口変動と「神輿ブーム」とを関連づけて論じることはできなかった。だがこの映画では、東京への転入者が「神輿ブーム」を受けて、下町の人口減少が続く祭礼に参入していくことで、ブームが加熱していく様子が確かに描かれている。

 この点については、より詳細な議論が必要である。注*1でも論じた『ふるさとの歌まつり』などの「ふるさと」系テレビ番組の研究を通して、今後、この点を明確にしていきたい。

*  *  *

 本映画は、神輿会の世界にも大きな影響を与えた。とある神輿会の役員は、本映画によって一つの会が過剰に注目された結果、「荒れる原因を作った」と筆者に語った。ほとんどの人がこの映画のことを記憶していないであろう一方で、神輿会の世界では、筆者が参与観察を行った2010年代にもこの映画のことがしばしば語られていたのだ。

 熱狂的な神輿会の会長を主人公とし、ストーリーで三社祭が大々的に取り上げられる大規模公開作品が、今後登場することはまずないだろう。その意味で、当事者にとってこの映画がきわめて思い出深いものであることは間違いない。アカデミックな世界の読者の方々にも、本映画を通して、神輿ブームの空気感を是非とも感じてもらいたい。

 筆者の『神輿と闘争の民俗学──浅草・三社祭のエスノグラフィー』では、『お祭り野郎』といった映画や、『月刊東京タウン情報』『月刊東京情報』『月刊東京情報うるばん』といったタウン誌、『an•an』や『女性セブン』といった女性誌を利用して、神輿ブームのありようを描き出している。その意味で、神輿ブームの当事者の方々にとって、懐かしく、かつ、たいへん「個性的」な書籍だといえよう。

 本書が堅苦しい学術書であることは否めないが、本コラムで登場した様々なキーワードに懐かしさを感じる、神輿ブームの実践者の方々に、本書をお手にとってもらいたいと思っている。加えて、そういった方々や、浅草の人びと、そして、現在40代くらいの、神輿ブームを直接は知らない神輿会の成員の方々から、本書の内容をご批正いただけることを、大変楽しみにしている。


*1 『ふるさとの歌まつり』(1966年〜1974年)、『お国自慢にしひがし』(1974年〜1978年)、『宮田輝の日本縦断 ふるさと』(1975年)といった「ふるさと」系テレビ番組の研究をしている筆者にとって、テレビ番組の現存量の少なさは、抱えている困難の一つである。

*2 いうまでもなく筆者は、映画の分析や映画史を専門に学んだ研究者でなければ、映画評論家でもなく、ただの民俗学者である。そのため、東映任侠映画路線と本作との関係性や、本作の監督である鈴木則文の作品の中での位置付けなどの論点には立ち入らない。

*3 本筋からは逸れるが、例会に集まった銀座睦会の成員の中に、ホワイトカラー(銀行員)がいることが、貴重な尺を使ってあえて描かれている点にも注目すべきだろう。

神輿と闘争の民俗学──浅草・三社祭のエスノグラフィー

三隅 貴史 著

2023年3月31日

定価 4,500円+税