父の教え/津波高志

父の教え

津波高志(『沖縄の空手』著者)

 「あとがき」で書いたとおり、高等学校の頃に父から空手を教わった。自宅庭の、父手作りの巻藁で、突き、蹴りなどの基本的な修練法から手ほどきして貰ったのである。私が空手に関心を抱いたことが、よほど嬉しかったらしく、頼みもしないのに、いそいそと巻藁を作り、基本の指導を始めたのであった。

 父によれば、巻藁を突くときに体内に振動が伝わるのは、健康のために良くないとのことであった。それを体外に逸らすためには、巻藁に対する拳や腕の角度は一定でなければならないとのことであった。その角度のつけ方などは、今でも鮮明に覚えている。

 それと同時に、「ティー(手)」は、可能な限り、実際に使うものではないということも、繰り返し教えられた。当然ながらと言うべきか、喧嘩に巻き込まれたときの対処法も、三とおりほど、実演付きで、具体的に教えてくれた。それらを実際に用いたことはないし、今後ともその予定はまったくないので、この際、拙著の付録として記しておきたい。

 まず、相手がこちらの胸ぐらなどを掴み、殴り掛かってきそうなときの対処法。力を抜いたダラッとした手で、顔を覆い、弱いふりをしながら、喧嘩する意思がないことを伝える。そして、その瞬間、人差し指から小指までのダラッとした四本の指で、相手の両目を強く擦る。擦られた方は、目の前で多数の星がピカピカ光ることになる。その間に、一目散に逃げるのである。

 次に、後ろから組み付かれたときの対処法。しっかりと両足で踏ん張り(専門用語で言うと、ナイハンチ立ちになり)、両腕と腰を同時に右に力強く回転させる。腰を捻る力が右腕の肘にうまく伝わるようにしながら、相手の脇腹を突くのである。突かれた方は、息苦しくて蹲ることになる。後は、先ほどと同じである。
 
 さらに、数人の相手に囲まれてしまったときの対処法。何とかして、背後や横からは攻撃されないように、石垣の塀沿いに相手を誘い込む。つまり、相手が一人ずつか、あるいは二人ずつしか掛かってこれないようにするのである。こちらの方は、上記の二つの対処法とは異なり、一人か二人は、どうしても叩きのめすしかない。相手が怯んだ隙に退散するのである。

 父が教えてくれた対処法は、兎にも角にも、逃げろということであった。要するに、父の教えは、逃げるが勝ちだったのである。「空手に先手なし」などの名言と比べると、格好悪すぎるのであるが、一理あると納得していた。

 とは言え、今にして思うと、一つだけ、残念なことがある。年を取り、膝が悪くなって、逃げようにも逃げられない状況になれば、一体どうすれば良いのか、その点を聞き忘れたのである。七〇代も半ばになると、その当時からすれば、まったくの想定外の状況になっているのである。今更悔やんでも仕様がないので、ただひたすら、君子危うきに近寄らずを肝に銘じている次第である。

 父によれば、師範学校での空手の演舞会には、杖を突き、孫に手を引かれながらやって来る、近所の老人なども参加した。そんなヨボヨボの老人でも、一旦演舞を始めると、曲がっていた腰も背筋もシャキッと伸び、まるで舞を舞っているかのようであった。父に加齢と空手の関係を聞くと、いつもその話が返ってきた。拙著を執筆し始めてからは、走馬燈のように、その話をする父の顔が浮かんでくるようになった。そして、そのたびに、昔の爺さん達に較べたら、その膝の痛みなど、何のこともない、とニッコリ微笑んでいるのである。

沖縄の空手──その基本形の時代

津波高志 著

2021年4月14日

定価 1,800円+税