2019年1月刊行の『近代の記憶──民俗の変容と消滅』は2部構成ですが、その2部は「イロリとその民俗の消滅」と題し、著者が50年近くのフィールドワークの中で実際に出会ったイロリについて論じています。
写真も多数掲載しています。
そこで内容紹介を兼ねながらその写真をツイッターで紹介し、それをTogetterでまとめました。
『近代の記憶』掲載の囲炉裏(イロリ)の写真を紹介!
この本の序章も公開していますので、こちらもどうぞ!
序章「ムラびとの語りを紡ぐ」(PDF/全19ページ)
2019年1月刊行の『近代の記憶──民俗の変容と消滅』は2部構成ですが、その2部は「イロリとその民俗の消滅」と題し、著者が50年近くのフィールドワークの中で実際に出会ったイロリについて論じています。
写真も多数掲載しています。
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『近代の記憶』掲載の囲炉裏(イロリ)の写真を紹介!
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序章「ムラびとの語りを紡ぐ」(PDF/全19ページ)
定価:本体2,300円+税
現代語で甦る 江戸後期の怪異譚
孫や曾孫たちが、そのまた孫や曾孫たちに語ってくれれば……。
名君・上杉鷹山に仕え、94歳の天寿を全うした米沢藩士・吉田綱富が、その晩年に書き残した『童子百物かたり』。
狐やうそこき名人が活躍する笑い話、水女や疫病神が登場する怪しい話、酒呑童子をはじめとする有名説話のバリエーションなど、民俗学的にも興味深い、不思議な話の数々。
目次
まえがき
童子百物かたり
一 金花山常慶院、狐の釜のこと
二 高玉村瑞龍院、狐のこと
三 墓所の釜場へ杭を打って来ること→公開中
四 隅のば様ということ→公開中
五 吉田藤助、疫病の神を見ること
六 桶屋町𥶡入六左衛門の疝気のこと→公開中
七 吉田籐左衛門、闇夜にはた物をしまうこと
八 李山村の多蔵、狐にばかされること→公開中
九 吉田一無、壮年の時大井田伊兵衛と居合稽古のこと
十 吉田一無、若い時狐にばかされること
十一 古志田村七兵衛、初春に大黒を拾うこと
十二 河内勘大夫、石仏を切ること
十三 石野六左衛門、狐を追うこと
十四 人魂を見ること
十五 篠田何某のこと
十六 吉田藤助、夜中に野合で女に出会うこと
十七 長町七助、初春に鷹を拾うこと
十八 吉田、学館より帰る途中で、異相の野郎を見ること
十九 田滝甚蔵、馬場尻で坊主を見ること
二十 大木のこと
二十一 大雷のこと
二十二 狼のこと
二十三 雷什和尚のこと
二十四 草の岡洞昌寺のこと
二十五 浅間五右衛門、勇力のこと
二十六 吉田一無、弟の浅間五右衛門を捕り伏せること
二十七 火付けばばのこと
二十八 国分何某の嫡子、水女を切ること
二十九 浅間五右衛門、塩野村の小桜を投げること
三十 座頭金玉殺されること
三十一 若林弥五左衛門のこと
三十二 梅沢運平と千眼寺の小僧のこと
三十三 陰火を見ること
三十四 うそこき名人のこと
三十五 奥泉平左衛門、狐待ちすること
三十六 白井西雲のこと
三十七 丸橋忠弥、傷寒をわずらうこと
三十八 白井西雲、棒修練のこと
三十九 長命寺の老僧、怪異なものを見ること
四十 西海枝彦兵衛家、二度びっくりのこと
四十一 火事場に怪鳥飛ぶこと
四十二 化け物のこと
四十三 馬下何某、化け物を見ること→公開中
四十四 若林源兵衛、大音のこと
四十五 関戸甚六、弘法大師を捕えること
四十六 山道半兵衛のこと
四十七 ある人、北御堀端で夜中に老女を助けること
四十八 平の友盛のこと
四十九 玉石のこと
五十 酒呑童子のこと
解説
あとがき
著者
吉田綱富(よしだ・つなとみ)
宝暦6年(1756)、猪苗代町に生まれる。米沢藩の藩士として、番所勤、奉行附物書、役所役などを歴任し、文政3年(1820)、「その身一代限り御馬廻」に昇格、三の丸御屋敷将まで昇進した。天保元年(1830)に75歳で隠居。嘉永2年(1849)、93歳で没。号・糠山。書き物をよくし、25歳頃からの日記のほか、『蛙之立願』『童子百物かたり』『綱富一代記』などを残す。
訳者
水野道子(みずの・みちこ)
1948年、山形県米沢市生まれ。5歳より東京在住。1966年、東京都立武蔵高等学校卒業。1971年、東洋大学文学部国文学科卒業。日本民俗学会、日本昔話学会、伝承文学研究会、西郊民俗談話会会員。
編著に『米沢地方説話集』、共著に『中野の昔話・伝説・世間話』、『紫波の民話』、『小平ちょっと昔』、『国分寺の民俗』3~6、『国分寺市の民家』など。
2019年1月刊行の『近代の記憶──民俗の変容と消滅』の序章「ムラびとの語りを紡ぐ」をPDFで公開いたします。
民俗学者・野本寛一氏の特徴は、とにかく一次資料(つまり自分が直接聞き取った話)にこだわるところですが、この序章でも「近代」とはどんな時代だったのかを生活の底から考えさせられる、生々しい聞き書きが展開されます。
「夫は苦悶の末、田中山へ行って酸漿(ほおずき)の根を掘って持ち帰り、みつさんにこれを煎じて飲んでくれと呟いた。この地では酸漿の根は「子ハライ」の薬になると言い伝えられていた。「苦かった。あの苦さは忘れません──」とみつさんは語る。」
そしてもう一つ、瞽女(ごぜ/盲目の門付女芸人)についても以下のような聞き書きがあります。
「清太郎さんは「瞽女の唄聞き歩くと嫁なんぞはもらえないからな」──と親たちから瞽女宿へ行くことを禁じられた。普通の人は瞽女宿へは行かなかった、という言葉に対してその説明を求めると、「二二、三歳から三〇代になっても嫁のもらえない小作人の男たちが集まった」「瞽女は一〇銭で言うことを聞くという話を聞いたことがあった」という説明が返ってきた。(中略)もとより宵の口には、瞽女唄や口寄せが行われたのであるが、夜が更けると宿に泊まってゆく男たちがあったのである。」
本書はこの序章をとば口とし、400ページにわたる圧倒的な分量で、民俗と近代の関係を考えていきます。
ぜひご一読ください!
定価:本体3,400円+税
日本が失ってしまったもの
高度経済成長がもたらした社会変容によって、日本人の生活と価値観は大きく変わった。
日本人が、それまで守り、また多大な恩恵を受けてきた「民俗」は、衰退・消滅を余儀なくされることになる。
最後の木地師が送った人生、電気がもたらした感動と変化、戦争にまつわる悲しい民俗、山の民俗の象徴ともいえるイロリの消滅など、人びとの記憶に眠るそれらの事象を、褪色と忘却からすくいだし、記録として甦らせる。
高度経済成長期の末期から現在に至るまで、半世紀近く日本を歩き続けた民俗学者が聞き取った、失われた民俗の記憶。
目次
序章 ムラびとの語りを紡ぐ→公開中
Ⅰ 消えゆく民俗の記憶
第一章 木地師の終焉と膳椀の行方
第二章 電灯の点った日
第三章 山のムラ・生業複合の変容
第四章 戦争と連動した民俗
Ⅱ イロリとその民俗の消滅
第五章 イロリのあらまし
第六章 イロリの垂直性
第七章 イロリと信仰
第八章 イロリもろもろ
第九章 イロリ消滅からの思索
追い書き
著者
野本寛一(のもと・かんいち)
1937年、静岡県生まれ。近畿大学名誉教授。専攻は日本民俗学。1959年、國學院大學文学部卒業。1988年、文学博士(筑波大学)。2015年、文化功労者。2017年、瑞宝重光章。
著書に『焼畑民俗文化論』『生態民俗学序説』『海岸環境民俗論』『庶民列伝』『熊野山海民俗考』『野本寛一著作集(Ⅰ~Ⅴ)』『栃と餅』『地霊の復権』『自然災害と民俗』『季節の民俗誌』『民俗誌・女の一生』『神と自然の景観論──信仰環境を読む』『生態と民俗──人と動植物の相渉譜』ほか多数。
中村三春(『〈原作〉の記号学』著者)
かつて仙台で大学の助手をしていた頃、街にヨーロッパ映画を多く上映する映画館ができて、足繁く通っていた。とはいえ、その後地方大学を転々とする身で、本職の文学の方が忙しく、どこで映画と文芸との関わりにめぐりあったのか。想い起こすと、トニー・オウ監督の『南京の基督』(1995)に行き当たる。芥川龍之介原作だから、文芸映画と言ってよいわけだが、なぜこれを見たのかよく覚えていない。しかも、文芸原作の映画化であるが、私が着目したのは、映画がたぶんあまり意識もせずに原作から変更した作中人物の髪の毛の色に過ぎない。しかしそこを切り口に読み直し、見直すと、原作の「南京の基督」の持つ意味がこれまでとは大きく違ったものに思われてきた。髪の毛の色の変更という些末な事柄も、やはり文芸テクストの解釈にほかならず、また細部の解釈は必ずや全体の把握にも波及するのだ。この作品や、この作品にまつわる原作現象との出会いが、文芸における映画的次元の追究へと向かう契機となったことは間違いがない。いつどこに出会いがあるのか、本当に分からないものである。
この十年来、科研費の研究課題であったため、1950年代の日本映画を重点的に見て問題を探っていたが、そんなある時、岩波書店『文学』の「文芸映画の光芒」特集に執筆の依頼を受けた。編集部と相談しながら、篠田正浩監督の『心中天網島』(1969)を論じることにしたのだが、原作の近松も浄瑠璃も篠田監督作品についても、いずれも全くの勉強の仕直しであった。にもかかわらずこのテーマに決めたのは、同じ近松作品を下敷きとして、義太夫節を愛した太宰治が晩年に「おさん」(1947)という小説を書いており、かつてそれを論じていたからである。篠田監督の『心中天網島』は古典に題材を採った超絶的な前衛作品であるが、太宰の「おさん」も太宰的な絶唱の一つである。ただし、「おさん」は同時期の『斜陽』や『ヴィヨンの妻』に比べると評価が高くなく、私はこれを取り上げたことに思い入れがあった。原作現象は複数のジャンルをまたぎ、複数の作者の創作を包んで拡がる要素がある。それにしても依頼を受けなければ、本気であの超絶的な『心中天網島』に立ち向かうことができただろうか。このことも一種の出会いというか、意想外に到来する契機であったのだろう。
しかし出会いと言えば、まさに科研費の共同研究のメンバーたちとの出会いをも忘れることはできない。私は研究代表者を務めたが、研究水準においても代表であったとは到底言えない。多士済々で個性的な多くのメンバーたちに教えられ、鼓舞されて共同研究を進めたのである。その中でも国際派の日本文学・文化研究者である中川成美氏が、パリの日本文化会館で川端康成展が開催されるのに併せて、科研費によるワークショップをパリで行うことを提案された。当初の予定になく、国内での活動に限定していたので驚天動地だったが、何とか準備を整えて2014年10月に川端原作の文芸映画に関するワークショップの実現に漕ぎつけ、私も豊田四郎監督『雪国』(1957)に関する研究発表を行った。そこでフランスの研究者との新たな出会いがあり、また研究に関する視野の広がりを得た。その成果は中村三春編『映画と文学 交響する想像力』(2016、森話社)に収録されている。出会いというのは、予想できないものであり、予想できない結果を生むものである。
原作現象の研究は、いずれにせよテクストと第二次テクストとを接続する操作に関わるのだが、考えてみれば私たちの生命も文化も社会も、自己と他者との意想外の出会い、あるいは接続の連なりにほかならない。出会いという現象は、接続という機能の一般理論的な追究に結びつくものではないだろうか。私は目下、文芸を中心として、様々な生命・文化・社会にも通じるような、接続の理論を構想しているところである。
2018年1月に刊行された『琉球王権と太陽の王』の第Ⅱ部第四章「三山時代の内情」をPDF公開いたします。
三山時代は、沖縄に尚氏という統一王統ができる前の時代、北山・中山・南山という3つの勢力が鼎立していたといわれる、1322年ごろから1429年までの時代です。
吉成氏は、これまでの著書でも、この三山時代の虚構性(単純に3つの勢力が台頭し、争っていた時代ではない)を様々な観点から指摘してきました。
三山時代は琉球の勢力が明に朝貢を始める時期で、それゆえ中国や朝鮮の史料から琉球の王たちの動向が断片的にはわかるのですが、琉球にはまだこの時代には史料らしい史料はなく、ヒントは多いながら謎に包まれた時代です。
本章では三山の王たちの名前とその朝貢のありように着目することで、整合的に三山時代の王たちの関係性を解き明かしていきます。
短い章ですが、これまでの琉球史の通説を覆す、スリリングな章です。
ぜひご一読ください!