「面」と民間伝承──鬼の面・肉附き面・酒呑童子

「面」と民間伝承
鬼の面・肉附き面・酒呑童子

西座 理恵 著

定価:本体6,800円+税

2022年2月28日刊
A5判上製 / 384頁
ISBN:978-4-909544-24-7


伝承は語る。「鬼面」を手にして魔を払う者は富貴となり、顔から離れずに「肉附き」となった者は鬼と化す──
神事や芸能において重要な役割を担う「面」は、昔話や伝説、お伽草子などの物語に取り入れられ、多彩なバリエーションをもって語られている。
伝承や信仰との相互関係を見据えながら、「面」のもつ豊かな象徴性を明らかにする。


目次
序章 「面」とは何か──信仰・芸能・話の世界
先行研究の紹介

Ⅰ 昔話における「面」
第一章 昔話「肉附き面」と蓮如信仰
第二章 昔話「肉附き面」の背景──近世社会における女性と生活
第三章 昔話「鬼の面」における「鬼面」の呪力
第四章 昔話「鬼の面」における「愚息型」と「孝女型」の考察

Ⅱ 「肉附き面」モチーフの生成と変容
第一章 「肉附き面」モチーフの変容
第二章 白馬村の「七道の面」伝説
第三章 「肉附き面」モチーフの多義性

Ⅲ 「酒呑童子」伝説の変容と「肉附き面」モチーフ
第一章 新潟の「酒呑童子」伝説
第二章 「酒呑童子」になる者──顔の変化から「肉附き面」へ
第三章 「酒呑童子」伝説と鉄砲・金属産業の信仰
第四章 お伽草子『伊吹山酒典童子』の「面」と神事芸能

Ⅳ 近代の文芸に取り入れられた「面」
第一章 芥川龍之介「ひよつとこ」の「面」の解釈

終章 「肉附き面」モチーフの話の周辺

初出一覧
あとがき
索引→公開中


著者
西座理恵(にしざ・りえ)

1975年、大阪府に生まれる。
2002年、早稲田大学文学研究科日本文学専攻修士課程修了。
2021年、國學院大學大学院文学研究科博士後期課程修了、博士(文学)取得。

書評・紹介

ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

接続する文芸学──村上春樹・小川洋子・宮崎駿


試し読み

接続する文芸学
村上春樹・小川洋子・宮崎駿

中村三春 著

定価:本体3,500円+税

2022年2月22日刊
四六判上製 / 352頁
ISBN:978-4-909544-22-3


物語を語り、読むことは、私を私ならざるものに「接続」することである。
語り論、比較文学、イメージ論、アダプテーション論を駆使して、村上春樹『騎士団長殺し』『多崎つくる』『ノルウェイの森』、小川洋子『ホテル・アイリス』『猫を抱いて象と泳ぐ』『琥珀のまたたき』、宮崎駿『風の谷のナウシカ』『風立ちぬ』などを論じる。


目次

はしがき

序説 接続する文芸学──語りの〈トランジット〉

Ⅰ 村上春樹
第1章 「壁」は越えられるか──村上春樹の文学における共鳴→公開中
第2章 運命・必然・偶然──村上春樹の小説におけるミッシング・リンク
第3章 見果てぬ『ノルウェイの森』──トラン・アン・ユン監督の映画

Ⅱ 小川洋子
第4章 小川洋子と『アンネの日記』──「薬指の標本」『ホテル・アイリス』『猫を抱いて象と泳ぐ』など
第5章 小川洋子と〈大人にならない少年〉たち──チェス小説としての『猫を抱いて象と泳ぐ』
第6章 小川洋子『琥珀のまたたき』と監禁の終わるとき──『アンネの日記』とアール・ブリュットから

Ⅲ 宮崎駿/宮澤賢治
第7章 液状化する身体──『風の谷のナウシカ』の世界
第8章 宮崎駿のアニメーション映画における戦争──『風の谷のナウシカ』から『風立ちぬ』まで
第9章 変移する〈永遠の転校生〉物語──伊藤俊也監督『風の又三郎 ガラスのマント』


あとがき
初出一覧
索引→公開中


著者
中村三春(なかむら・みはる)

1958年岩手県釜石市生まれ。東北大学大学院文学研究科博士後期課程中退。博士(文学)。北海道大学大学院文学研究院教授。日本近代文学・比較文学・表象文化論専攻。
著書に『〈原作〉の記号学 日本文芸の映画的次元』(七月社)、『フィクションの機構』1・2、『新編 言葉の意志 有島武郎と芸術史的転回』、『修辞的モダニズム』、『〈変異する〉日本現代小説』(以上、ひつじ書房)、『係争中の主体 漱石・太宰・賢治』、『花のフラクタル』、『物語の論理学』(以上、翰林書房)、編著に『映画と文学 交響する想像力』(森話社)など。

書評・紹介

  • 2022-04-22「週刊読書人」
    評者:千葉一幹(大東文化大学教授)
  • 2022-07-09「図書新聞」
    評者:高橋由貴(福島大学准教授)

ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

電話の声による繋がり/黒田翔大

電話の声による繋がり

黒田翔大(『電話と文学』著者)

 私は電話で通話をする機会がそれほど多くない。スマホやケータイを使うとしても、通話ではなく、メールやインターネット検索などがほとんどである。電話は本来的に声によって繋がるメディアであるが、スマホやケータイには様々な機能が集約されている。通話するという機能は、その多くの機能の一つになっているのである。仕事上電話を頻繁に使うというのでなければ、プライベートで通話をするということが少ない人も多いのではないだろうか。少なくとも私はそうである。

 しかし、個人的にそのような状況が少し変わったように感じている。コロナ禍ということもあり、遠隔授業やテレワークの機会が多くなり、オンライン上で人と接することが多くなった。そのため、オンライン上で人と会話するための環境が構築され、通話をする機会が増加した。そして、友人と直接会うことが制限されているので、通話による繋がりを私は以前よりも求めるようになった。

 ただし、これはZoom、LINE、Discord等のアプリを用いたものなので、従来の電話の通話と全く同列に扱って良いのかは分からない。また、私の場合はスマホやケータイでは内臓のマイク性能に不安があるため、PCとその周辺機材を用いている(これも拘りだすときりがなく、高価なマイクやオーディオインターフェースが欲しくなってしまう)。しかし、いずれにせよカメラをオンにしてビデオ通話をしていない限り、電話による通話と近いものがあるだろう。

 電話がスマホやケータイというように進歩し、通話機能自体は相対化されている。しかし、だからこそ、(本書では扱っていないが)他の機能と比較しやすいという状況になっているのではないか。またコロナ禍ということもあり、通話をするという機会も増えつつあるのではないか。このようなことから、電話で声によって繋がるとはどういうものなのかを考える大きなきっかけになると個人的には考えている。

 本書では触れることはなかったが、執筆中に考えていた事柄をいくつかここで挙げておきたい。

 本書では固定電話を扱っているが、現代では多くの人々がスマホやケータイを持ち歩いている。固定電話からスマホやケータイへと移っていく過程で、自動車電話やショルダーホンがあった。第五章でも言及しているが、推理小説では電話が犯人からの連絡手段として用いられることが多い。自動車電話の登場は、推理小説にも影響を与えており、それがトリックの要素として使われているケースも多々ある。これにポケベルなども加えて、ケータイやスマホの前段階を考察する必要があると考えている。

 また、第三章では「満洲国」における電話に関して扱っているが、台湾や朝鮮といった外地に対する考察も求められるだろう。「満洲国」や外地では言語の問題が出てくる。そのため、電話交換手の育成よりも自動交換機の設置の方が合理的だとされた内地と異なる事情があった。それを考えていくことは、電話研究だけでなく「満洲国」や外地の研究にとっても重要になるのではないかと感じている。

 最後に個人的な感想を記しておく。「あとがき」にも書いているが、本書の中でもとりわけ初めての学会発表と論文掲載をした安岡章太郎『ガラスの靴』を題材として扱った第四章は感慨深い。初めての学会発表では当時の全力を出し、発表した内容がほぼ全てであった。そのため、質疑応答に答える余力は残されていなかった。学部時代の恩師から質疑を受けるが、それに対する十分な答えを明示することは出来ないと瞬時に理解し、何とかその場を凌ぐようなことしか言うことができなかった。これは苦い思い出であると同時に良い思い出だと今では考えている。

 そして、本書も同様に私にとって初めての「本」としての著作物であり、全力は出せたと思う。そのような意味でも個人的には記念になるものだと感じている。今後の研究者としての道を進む上で、きっと特別な糧になると確信している。それに加えて、本書が同分野に幾分かの貢献ができていれば、それ以上の喜びはない。

電話と文学

黒田 翔大 著

2021年10月14日

定価 4,500円+税

電話と文学

電話と文学
声のメディアの近代

黒田 翔大 著

定価:本体4,500円+税

2021年10月14日刊
A5判上製 / 224頁
ISBN:978-4-909544-21-6


「声のメディア」を、文学はどのように描いてきたのか。
電話事業が始まる明治期から、「外地」にまで電話網が拡がった戦時期、家庭や街路に電話が遍在するようになる昭和戦後期までを、作品を論じながら通観し、未来・身体・空間などの視座から、「文化としての電話」を浮かび上がらせる。


目次
序章 文学における電話を問題化する
一 電話に関連するメディア研究
二 文学研究における電話
三 本書の構成

第一章 文学における電話前史──遅塚麗水『電話機』に描かれた電話
一 電話交換手の信頼性
二 電話の利用形態
三 電話交換手に対する不満
四 電話利用者の問題性

第二章 「受話器」という比喩──夏目漱石『彼岸過迄』の敬太郎を通して
一 漱石作品における電話の描写
二 「受話器」としての敬太郎
三 千代子の「受話器」
四 聴き手としての敬太郎

第三章 「満洲国」内における電話の一考察──日向伸夫『第八号転轍器』、牛島春子『福寿草』から
一 空間的距離の短縮と言語の差異
二 日向伸夫『第八号転轍器』
三 牛島春子『福寿草』

第四章 占領期における電話空間──安岡章太郎『ガラスの靴』に描かれた破局
一 電話の同時代状況
二 占領期における電話
三 対面と電話の差異
四 「僕」と悦子のコミュニケーション

第五章 「電話の声」と四号電話機の影響──松本清張『声』とその前後の推理小説
一 四号電話機普及以前の推理小説と「電話の声」
二 四号電話機普及以後の推理小説と「電話の声」
三 「電話の声」が注目された事件
四 松本清張『声』における犯行動機

第六章 電話社会のディストピア──星新一『声の網』に描かれた未来社会
一 家庭における電話の普及
二 プッシュホンの登場と電話サービスの多様化
三 電話によるおしゃべり
四 電話の発達した社会
五 コンピュータによる支配

第七章 電話に付与される場所性──中上健次『十九歳の地図』における脅迫電話
一 一九七〇年代の電話の描写
二 公衆電話と家庭用電話
三 電話によるメディア空間
四 地図の作成
五 場所の自覚

結章 「声のメディア」としての電話
一 本書のまとめ
二 今後の展望

参考文献一覧
初出一覧
あとがき
索引→公開中


著者
黒田 翔大(くろだ・しょうだい)

1990年 兵庫県生まれ
2013年 関西学院大学文学部卒業
2015年 名古屋大学大学院博士前期課程修了
2019年 名古屋大学大学院博士後期課程修了、博士(文学)
聖霊高等学校非常勤講師、トライデント外国語・ホテル・ブライダル専門学校非常勤講師、名古屋大学教育学部附属高等学校非常勤講師、名古屋大学大学院博士研究員、中京学院大学非常勤講師、名古屋芸術大学契約助手などを経て、現在は大阪体育大学非常勤講師、大阪人間科学大学非常勤講師。

書評・紹介

ほんのうらがわ(編者による刊行エッセイ)

昭和11年、安家の夏/岡惠介

昭和11年、安家の夏

岡惠介(『[増補改訂版]山棲みの生き方』著者)

 私は昭和61年、筑波大学環境科学研究科の研究生をやめて北上山地の奥地山村・安家(あっか)に移り住み、岩泉町の教育委員会の仕事をしながらフィールドワークを進めていった。

 なぜ調査フィールドを安家にしたのかとよく聞かれるが、その理由は一言では説明しにくい。しかし確実に一因をなしているのは、山口弥一郎氏の著作である。山口弥一郎氏は明治35年に会津に生まれ、昭和15年から21年にかけては岩手県内の中学、高校などでも教鞭をとった経歴を持ち、東北各地を歩いて地理学や民俗学分野のフィールドワークを行った。なかでも昭和8年の昭和三陸地震による津波被災地の暮らしや復興過程の研究は、東日本大震災後に大きく評価され、昭和18年刊行の著書『津浪と村』が復刊されている。

 山口の仕事は山村にも及んでおり、焼畑もテーマのひとつだった。『東北の焼畑慣行』(恒春閣書房、昭和19年)に収められた「北上山地の山村と焼畑」の冒頭に置かれた「一、採訪記」という85年前に書かれた痺れるような一文がある。これを読むたびに、私は安家の昭和11年の夏に連れ去られ、炉端で村人たちの歓談を聞いているような気にさせられる。

 採訪記の中で最初に訪れる民家は誰の家であり、屋根はトタンに替えたがあとは当時の囲炉裏もそのままであると判明したり、知り合いになる村会議員は誰で、年老いたその彼と一緒に酒を飲んでからまれ酷い目にあったといった体験が、私の幻視のリアリティを増加させるのかもしれない。中略をはさみながら引用してみよう。

一、採訪記
 日本人の古い生活様式が、下閉伊の安家程の僻村になれば、相当は窺ひ知られようと、昭和十一年八月、当時福島県にゐたので、遥か北へ旅する心地ででかけて来た事がある。
 盛岡より山田線に乗換へて、茂市へ下車すると、当時一日に二回かの岩泉行バスがあった。これも現在は小本線が岩手和井内駅まで開通して、そこより岩泉行のバスが立つやうに改められてゐる。岩泉まで行けば何んとかなるだらうと、下り立ってはみたが、雨は降って来るし、乗合自動車は通っていない。

 私がはじめて安家に入ったときは、茂市から岩泉線(山口のいう小本線)が岩泉駅まで到達していた。しかし現在では岩泉線は廃線となっている。山口が岩泉線を小本線というのは、当時岩泉から太平洋岸の小本までさらに延伸する計画があったからだが、これは実現することはなかった。

 こんな時は、よくも苦労して物好きに来たものであると言ふ感じが一寸頭をかすめる事もある。然しすぐ東北研究に献げた自分の念願に落着き、雨の中を六里余の山道を歩く決心をし、邪念を払って、軽い気分でポツリポツリと歩き出す。宇霊羅山を廻って北の谷を登ってゆくのだが、道路は改修されて広いし、雨に洗はれて堅い。

 こうして全身汗と雨に濡れながら安家に入り、一軒しかない「宿舎と言ふには名ばかりの一民家」にたどり着くのだが、そこからのこの民家での村人とのやり取りは、まさにわたしたちを85年前の山村に連れていってくれる。

入口の薄暗い破れ障子の間には、雨に閉ぢ込められたらしい、傘直しの老人がポツンと諸道具を前にして、煙草をのんでゐる。先づ今晩の宿を頼んで上がらうと、左の炉のある方へ廻ってみた。ここには四、五人の請負人と村人らしいのが酒を交して談笑してゐる。私がはいって行くと、先づ視線が私の頭から爪先までなでおろされたのを感じた。そして開口一番村人の言葉は「何商売ですか」である。随分と永い間東北の山の旅を続け、種々の職業者に見間違ひられることになれてゐる筈であるが、これは又余り突飛に、私の感じ方と異なってゐたので、意外な面持にならざるを得なかった。然し直ぐ、旅なれた気持を取り戻して、「さあ特別商売と言ふ理ではないが」と、御免してもらって、炉辺の一隅にかけたものである。

「商売と言ふ理ではないが」と言った最初の言葉は、行商人である事を肯定した意味にもとれたかどうかして、私の行商の種類を詮索しようとかゝる。漸次売る物をもたぬとみると、何か請負人か山師とでもみたか、今度は商売敵の如き口吻がもれて来る。村の伝説や昔話を聞き度い等と言ってみても、此の世の中に、この僻村に雨の中を旅して来る物好き等は、到底考へられさうでもなく、漸次兜をぬいで、名子の事を聞いてみたい為はいって来たと話した。

さうすると中年の一村人が、「名子の事なら詳しく知ってゐる。俺は村会議員である」と向き直って言ったものである。

これは漸次わかって来た事であるが、酒を交してゐた人々は、他村よりはいって来た炭旦那即ち山を買って、焼子を雇ひ、製炭を請け負う山師と、山を売らうとする村人や、焼子の一群で、相談のまとまった、祝ひ酒の場所であったのである

一旦気持がほごれると村会議員と言ふ人の居丈高な気分は失せて「名子の事ならここでは話せない。この家も玉沢さんと関係があるから。家には老人もゐて話がわかる」と、滞在中は一度寄って呉れ等親しく話して呉れる。それなら今日にも行ってもよいがと言へば、雨の中に、山道で容易でないと言ふ。いやそんな事は一向苦にしてゐない。身体の傷む事は既に覚悟は出来てゐて、心軽く旅して来てゐる。と話して行けば、私の熱心にほだされてか、既に夏の日も夕暮近い山道を、約一里半程も安家川に沿うて下ったのであった。

 安家の場合の名子とは、ダンナサマと称される酒屋や商家を兼ねた山林大地主への借金のかたに、家屋敷や耕地、山林、採草地、家畜などの所有権を奪われ、それらを貸与されて生活し、ダンナサマの畑や家畜の小作を行い、年間定められた日数を農作業などの賦役に服し、冠婚葬祭の手伝いも義務付けられた主従関係にあった人々のことである。一般に地頭名子制度と呼ばれ、戦前の社会経済史では注目度の高いテーマであり、岩手県北地域には多く見られたが、村人の口は重く調査は困難を極めた。安家での最大のダンナサマは玉沢家であったが、その起源は意外に新しく、明治以降のものだと言われている。戦後の農地解放で名子は消滅したが、筆者が安家での調査を始めた頃も、ダンナサマの牛を飼って生まれた子牛の販売代金を折半する牛小作は残存していた。

 山口はこの後、安家の年々(ねんねん)という集落に着き、名子についても聞いたであろうが、まだこの集落のワヤマで行われていた焼畑について、詳細なヒアリングを行ったはずである。

 あの一筋縄ではいかない、一見猜疑心の強そうな、しかし打ち解ければ底抜けに人のいい安家の人々とまた会って話がしたい、そう思わせる名文である。ふつうは論文に組み込まないであろう、このような採訪記をどうしても冒頭に置きたかった山口の気持ちが慮られる。こんな出会いをしたいという願いが、安家で調査を進める原動力のひとつだった。

 調査を続けていった末に、私は安家に家を建てて家族と棲むようになった。その頃私はフィールドワーカーという立場を超えたと思っていた。しかしその後勤務していた久慈の短大の閉校でやむを得ず安家を離れ、約20年が経とうとしている。一度はフィールドワーカーから安家の人になった自分が、今はまたアウトサイダーとして安家の本を書いている、その自分の引き裂かれた立ち位置も、山口の名文に惹かれる理由であるのかもしれない。

山棲みの生き方──木の実食・焼畑・狩猟獣・レジリエンス[増補改訂版]

岡 惠介 著

2021年4月26日

定価 2,800円+税